庄内川南岸、矢田川北岸に鎮座。庄内川、矢田川にはさまれた中州にある神社のため古くから水害に悩まされた。 古くからの御祭神は、高皇産霊神と考えられる。 津田正生は『尾張神名帳集説乃訂考』で当社を羊神社に比定している。 |
由緒 祭神 高皇産霊命 素盞鳴命 伊邪諾命 大山祗命 天照大御神 菊理媛命 由緒 創建は養老元年(717)11月15日で高見と言う称号をいただいた。 本殿は昌泰三年(900)9月再建あり。 文政8年(1825)8月修造、同6年5月、社務所、同7年8月、拝殿、同12年8月幣殿をそれぞれ造営する。 「延喜式」に春日部高牟神社、「本国帳」には従3位高牟天神、「尾張本国内神明帳」に従3位上高見天神と記るす古社なりと。明治40年10月26日供進指定社となる。同41年4月7日字右京浦1996番、神明社。字屋敷93番、山神社。昭和5年3月3日、字柴荷、白山社。字屋敷、神明社の4社を合祀した。 同20年5月、戦災により社殿を消失、同36年10月造営復興した。 例祭日 10月10日 社殿 神明造0.30坪、拝殿12.00坪、社務所41.00坪 境内坪数 762.75坪 氏子数 1,100戸 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
高牟神社 御祭神 高皇産霊神 相殿 伊邪那岐命 素盞鳴命 天照皇大神 大山祇命 菊理媛命 菅原道真 例際日 10月10日 元正天皇養老元年11月15日鎮座、高見の称を賜えりと、爾来1200余年社伝に依れば醍醐天皇昌泰3年9月15日再建、又、文政8年9月17日再々建。 延喜式神名帳、本国帳瓊も記されて由緒ある社であった。古くは瀬古以外八ヶ村の総鎮守と仰がれた。昭和20年5月14日被爆焼失するも。36年10月再建の上今日に至れり。 社頭掲示板 |
高牟神社 式内社高牟神社 養老元年御鎮座(千三百年前) 一、高見天神の称号を賜う 尾張本国帳に記述有り 一、江戸時代には尾張天満宮二十五ヶ所巡拝の十一番札所として大勢の参拝あり 一、天神橋の名の由来 当社の天神様が年に二度渡られたため 一、元当社神宝の兵庫鎖太刀は 現在国宝として東京博物館に収蔵 一、御祭神 高皇産霊命 素盞鳴尊 天照大神 菅原道真 他 一、末 社 金比羅社 熱田社 靖国社 一、祭 礼 例大祭 十月 日 元旦祭 一月元旦 厄除祭 一月 日 夏祭り 七月 一、御造営復興 昭和三十六年十月成る 社頭掲示板 |
郷社 高牟神社 祭神 高皇産霊尊 伊弉諾尊 素戔鳴尊 合祭 天照皇大御神 大山祇命 旧と高見天神又は高見島天神と称す、創立年代詳ならずといへども、「養老元年11月15日鎮座す、因て高見と云ふ名称を賜ふ」云々と社記に見えたり、延喜式内社にして、奉唱國帳に「從三位高牟天神」参考に「從三位高牟神社、天神、一本作正四位下高見」と記せり、尾張名所図会の所謂「古き棟札もありて、尤旧社」なり、明治5年5月郷社に列せられ、41年本村神明社及山神社を当社に合併す。 社殿は本殿、祭文殿、拝殿、祭器庫、社務所等を具備し、境内地700坪(官有地第一種)あり、因みに、式の高牟神社所在を張州府志、伴氏考証及覈録には、山田庄高田寺村の白山社を以て擬すといへども、今學者は多く之れに從はす、但尾張志に云く、「所在詳ならす、但瀬古村石山寺の邊高見といふ地に、今は天神社と称して古き棟札もありて、旧社あり、此社ならむも知るべからず云々、されど正しき伝へあるにあらす、社のさまの古めかしきと地名の似たるにすがりて斯く論じおくなり、府志に「高田寺村白山社を高牟神社とするは拠もなく高牟と高田とまがふべき地名にもあらすいかが定め雛し」とす。 明治神社誌料 |