古来「六師里」の地名があり、土地の名が社名につけられたと思われる。 鎮座地は六師地区の最も標高の高い場所である。 白雉2年(651)8月18日創祀と伝えられている。 近世以前に不明となり、当社は江戸期には白山社とされており、修験道の支配をうけていた。 明治4年に牟都志神社と改称した。 かって、この地の南100mに愛宕社があり、六つの大石があったとされる。 愛宕社は境内に祭られているが、江戸時代、この大石を青竹をコロにし当地に運んだとの伝承がある。 標柱の礎石がそれであるとする。 愛宕社には秘仏の木像がある。「あたご円空作」の墨書がある。 |
牟都志神社 牟都志神社由緒 当社は白雉2年8月18日(651)の創建になる延喜式内社で菊理姫命を奉斉し縁結び夫婦和合、家庭円満の守護神である 社頭掲示板 |
牟都志神社 六ツ師の地名について 六ツ師の地名の起源には諸説あるが大正12年刊『西春日井郡史』昭和36年刊「師勝史」によると『昔、当宇に六ツの石あり、この六石より六ツ師の字名起れりという。現在其の一つは牟都志神社の社標の台石となりおれり又一つは観音寺前の松林中に埋没せりと言い伝ふ。その他は明らかならず』とあるが近年神社の手水舎の御手洗石もその一つてあることが証され、永く子々孫々に語り嗣がれることであう。 昭和57年10月10日 牟都志神社 社頭掲示板 |
牟都志神社 木造愛宕神立像 牟都志神社蔵 円空上人は、江戸時代初期、現在の羽島で生まれた。 生涯に十二万体の作仏を誓願した円空上人は、本町にも二十体を越す仏像を残している。 この愛宕神立像は、円空上人壮年期の貴重な作品である。高さ50.8cm。 昭和49年11月3日指定 六ツ師獅子舞 六ツ師獅子舞保存会 江戸時代末期、獅子芝居(嫁獅子)が興され、伝承されてきた民俗芸能である。 現在、保存会が組織され後世への伝承に努めている。 毎年、例祭(10月10日)には、牟都志神社の拝殿で演じられる。 平成9年4月15日指定 師勝町教育委員会 社頭掲示板 |
牟都志神社 牟都志は仮字也○祭神詳ならず○小田井庄六師村に在す、今白山と称す、(集説、府志) 集説云、今按、小治田連等祖六見命歟、』猶考ふべし、 神位 国内神名帳云、正四位下牟都志天神、 一本作六師 神社覈録 |