訓原神社
くにはらじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】訓原神社 尾張国 春日部郡鎮座

   【現社名】訓原神社
   【住所】愛知県北名古屋市井瀬木五反地68
       北緯35度14分45秒,東経136度53分13秒
   【祭神】少彦名命
   【例祭】10月10日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創祀年代不詳
       天文3年の棟札に天神白山
       明治6年訓原神社
       明治12年郷社

   【関係氏族】尾張栗原連
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「栗原天神」「天神白山」と称していた
   【社殿】本殿神明造
       祭文殿・拝殿・社務所

   【境内社】市岐島社

師勝小学校の南に鎮座する。
国原は「平らに広がった国土、原はひろい場所をいう」とあり、よく開拓された広い農村地帯を指すものと思われ、鎮座地の状況が社名に用いられたものであろう。
近世は栗原天神又は天神白山の祠と呼ばれていて、訓原神社とされたのは、明治時代に入つてからである。
祭神少名彦名命は古くから祀られていたと思われる。


訓原神社

訓原は久爾波良と訓べし○祭神詳ならず○山田庄井関村に在す、今栗原天神と称す、(集説)
集説云、按、旧事紀曰、尾治佐迷連之子尾治粟原連、云々、久爾與久利音通と云り、猶考ふべし、
類社
丹後國竹野郡久爾原神社
神位
国内神名帳云、從三位訓原天神、

神社覈録



郷社 訓原神社

祭神 少彦名命
旧と栗原天神とも称す、創立年代詳ならすといへども、延喜式内社にして、奉唱國帳に「從三位訓原天神」、参考に「一本作正四位下」、集説に「山田庄弁円村、(称栗原天神)」と見えたり、明治5年村社に列せられしが、12年12月郷社に昇格す。
社殿は本殿、拝殿を具へ、境内地433坪(官有地第一種)あり、因みに尾張志に云く、本國帳集説府志ともに、井瀬木村の栗原天神社を是とし、旧事記に記せる尾治佐迷連之子尾治原連を祭れるより上り、くにばらこときりはらとは唱へ近し云々、又参考本国帳には、訓原神社は外原村白山社是歟としるしたれども、是又おぼつかなき考へなり。

明治神社誌料



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