二の宮の別宮という伝承を持っている。天正戦国のころ二宮の社人これを放捨て逃去しより以来、祥雲寺の管理となったという。二の宮とは、大県神社(国幣中社、犬山市字宮山、式内社、丹羽郡)である。 天野信景は、当社を非多神社に比定している。林には、卑田(ひた)と呼ぶ地域がある故と思われる。 |
神領第一号墳 神領第一号墳は庄内川右岸の自然堤防上、標高約27mに立地しています。盛り土は既に失われ、地上には痕跡を留めていませんでしたが、平成2年・26年の二回の発掘調査により横穴式石室が確認され、古墳の存在が明らかとなりました、形や規模は不明ですが、周辺の古墳から直径15m前後の円墳と推定されます。 横穴式石室は基底石付近の高さ約30cmが残存するのみで、上部の構造は不明ですが、石室の形態や規模は把握することができ、全長6.85mを計測します。棺を納める玄室はおよそ長方形で、最大幅1.4m、奥壁が幅1.1mで、奥壁手前がすぼまる形態です。 同じような特徴の石室は、北東へ約700mに位置する大留荒子古墳(大留町)に認められ、その関係が注目されます。 副葬品は須恵器(杯蓋・杯・高杯・台付長頸瓶)や士師器(甕)が出土し、食物などを供えたかあるいは埋葬に伴う共食儀礼(死者と共に食する儀礼)が行われたと推測されます、奥壁隅の甕や側壁際から出土した台付長頸瓶は七世紀後葉のものと推定され、1300年以上前に据え置かれた当時のままの状態が保たれています、 神領第一号墳の北東約50mに三明神社古墳(直径20m・高さ3.4m・円墳)が現存し、南西約30mに横穴弐石室を伴う神領第四号墳が確認されましたが、調査後滅失しています、明治期の地籍図には神領第四号墳の北西約20mに10m程の塚が描かれ、三明神社境内地を中心に数多くの古墳が所在した可能性があります。 こうした古墳群は、地域の歴史を物語る貴重な文化遺産です。神領第一号墳は、現在は埋め戻して地下に保存しており、石室の位置や現摸などが分かるように地上に輪郭を示していまず。 社頭掲示板 |