新川の南岸近くに鎮座する。 六所神社本殿の南側(本殿向かって左)に小さな祠となっている。 もとは国道302号の地藏川原高架橋のあるあたりから北に180m地点にあったと推定される。 大正8年に堤防改修の爲に現在地に遷座された。 六所神社には境内社として式内社の非多神社と乎江神社(大江神社)が祀られている。 |
沿革 この地は昔非多とか呼ばれ何時の頃からか比良となり室町時代には尾張国山田郡山由庄に属し江戸時代は春日井郡比良村と呼ばれ明治13年春日井郡は東西に分かれ西春日井郡に属し明治39年近村と合併し山田村大字比良となり主として農業地帯であった。 昭和30年10月名古屋市に合併し西区山田町大字比良となり宅地化が進み無秩序な発展は将来に禍根を残す虞れがあり地主330余名相計り建全なる市街化を図るため街路築造公園設置家屋移転電気瓦斯水道の移設新設等の宅地整理事業を施行しました。 昭和56年1月10日名古屋市の換地処分広告があり山田町大字比良字渋池外33字が消滅し比良一丁目 二丁目 三丁目 四丁目 花原 砂原 清里 玉池の八町と一部が大野木五丁目 宝地 二方の三町に分属し新■■町名地番になりました。 社頭掲示板 |
非多神社 非多は假宇也○祭神在所等詳ならず○味岡庄林村有称卑田地、(集説) 類社 越後國頸城郡斐太神社、出雲國秋鹿郡日田神社、 神位 國内神名帳云、從三位非多天神、(一非作卑、或作樋田、一作田) 神社覈録 |