木津用水駅北に鎮座する。 現社地の東方二町(約210m)に、今でも立野という地名があり、これは旧社地で木津用水開発(古木津用水の開削は、慶安元(1648)に行なわれた。)やむなく現在地に移したという。 明治30年12月許可を得て、それまでの天神社を立野神社と改称した。 津田正生は当社を針綱神社に比定している。 明和(1764-72)以前には上野村の天神(当社)が、地元村民の間で、針綱神社と考えられていた。 |
立野神社 祭神 菅原道真公(立野天神) 応神天皇(八幡神社) 建速須佐之男神(津島神社) この社「延喜式神名帳」に丹羽郡立野神社。又「国内神名帳」に正四位下辰の天神と記す。明治5年3月天神社として村社に列したが同30年12月許をうけて立野神社と改称した。同40年4月25日上野村流813番地八幡神社を合祀した。同40年10月26日供進指定をうける。 立野神社宮司 社頭石碑 |
立野神社 立野は多知能と訓べし○祭神詳ならず 或説云、在上淺野村、其地称紅梅野、神地有紅梅二株、故呼此名、一本者枯死、一本者移猿海戸村某之庭前、慶長末淺野又右衛門住此邑時、又移社於下淺野、今地土俗伝而称立野天神、」集説に、高雄庄神野村」、張州府志に、今按、神野村属稻置庄、疑高雄庄上野村天神社是歟、不得而考之と云り、 類社 伊勢国飯高郡立野神社の條見合すべし 神位 國内神名帳云、從三位立野天神、 神社覈録 |