天道宮神明社と俗称されている。 江戸期入鹿村に三明神社と天道社と2社存在した。『尾張志』や『大日本史神祇志』では三明神社(現虫鹿神社)を比定している。 |
天道宮神明社楼門 愛知県指定有形文化財 昭和34年1月16日指定 天道宮神明社は古くは奥入鹿村に鎮座し、天道宮と称した。寛永9年(1632)江崎善左衛門など入鹿六人衆の入鹿池築造計画の請願によって尾張藩主徳川義直は奥入鹿村を溜池となし村民を分散移住させた。 当時前原に移住した村人はこのお官を遷座移築したという。 明治3年〔1870〕今までこのお宮を世話していた神仏習合の神宮寺である白雲寺が廃寺となり天道宮は神明社と合体して天道宮神明社となつた、楼門の構造は入母屋造、桟瓦葺三間一戸楼門、高さ約8.1m、桁行約5.2m梁間約3.0m、桃山時代の遺風を残すが、創建の年代は不明である。 平成10年県道にかかり、楼門は遺風に近い鋼板葺に替え現在地に修理移築された。 平成11年3月1日 犬山市教育委員会 社頭掲示板 |
天道宮神明社楼門 神明社楼門は村民が入鹿村から前原に移住した寛永12年(1635)から数年後の寛永年間(1624〜43)後半頃に、この地に移されたと考えられる。 楼門の規模は正面の柱間数3間、戸口は一戸、屋根は入母屋造、屋根葺材は薄い木の板を葺いた柿葺型の銅板葺、西面向きに建っている。1階の平面は正面3間、側面2間、中央間に扉を建てている。両脇間は床板張である。2階の平面は正面3間、側面2間、内部は1室となっている。1階の軸部は礎石の上に建ち全て丸柱、地覆(じふく)と貫から成り、上層は柱盤上に丸柱を建て、貫を通し四周に長押が付く。1階の組物は斗が2つ出て縁を支える。2階は斗が3つ出て屋根を支え、その間に蟇股(かえるまた)と束が付く。軒廻りは二軒の垂木で典型的な三間楼門で伝統的な和様色の強い楼門である。(細野耕司) 文化ナビ愛知 |
白雲寺廃寺跡 一、慶長10年(1605)犬山城主小笠原和泉守により天道宮の神宮寺として白雲寺を再建 一、寛永12年(1635)入鹿池築造のたの前原の当地に移転 一、明治3年(1870)神仏分離令により白雲寺は廃寺となり神明社と合体し天道宮神明社と称し現在に至る 一、白雲寺の名残はこれより北に古井戸土塁また境内の南東に社僧の墓地そして福昌寺葉師堂に開山白雲尼と再建の祖堯覚法印の像を安置 社頭掲示板 |