創祀年月不詳で、江戸期までに祭神・所在ともに不詳となるが勝栗村の八幡社を当社に比定した。 この地は中世、伊勢神宮の内宮領である搗栗(カツクリ)御厨(神鳳抄)のあつたところである。 往古は一社七堂五坊並立する伽藍であったとする。 |
削栗神社 削栗は計豆利久里と読り〇祭神詳ならず○高雄庄勝粟村に在す、今八幡と称す、(集説、府志) 集説云、按削当作刺、和名鈔曰、栗刺俗久利乃伊加」、伴信友云、按削ハ式ノ諸本又國帳ニモ、然アレパ誤字卜モ定メガタシ、今勝栗村ニ在ト云ニヨリテシヒテイハバ、ナホ加知具利ド唱フベキニヤ、搗栗ト云モノ古クヨリアリシカ未考ザレドモ、今ヲ以テ云ニ、皮ヲ削ギ去テ干タルモノナレバ、字ノ義ニモ叶ヘリ、と云り、猶考ふべし、 神位 国内神名帳云、從三位削栗天神、 神社覈録 |