7世紀後半に創建され、一時は「西の比叡山延暦寺、東の大山寺」といわれるほど隆盛を極めた大山峰正福寺の跡に鎮座している。 正福寺は1151年に三井寺の僧徒の焼き討ちに合い、その後再建されましたが15世紀中頃に途絶えたと言われている。児社は大山廃寺の南に位置し、焼き討ちの際に亡くなった2人の稚児の霊を鎮めるため1153年に建てられた。児社の参道には100本近い桜も植えられており、桜の名所にもなっている。 仁平2年の焼き討ち直後、時の後近衛天皇が奇病にかかり、夜になると内裏に化け物が出るようになった。そのため原因を陰陽師の安部清業が占ったところ、「稚児の霊を慰めると良い」と出たという。そこで彼らの霊をまつる目的で、鷹司友行朝臣が久寿2年(1155年)、当社を創建した。 当社を宅美神社に比定する説もある。 |
史跡大山廃寺跡 昭和4年12月17日旧指定 昭和55年7月11日追加指定 大山廃寺は、白鳳時代から中世にかけて存続した山岳寺院跡で、塔跡の礎石が残るほか、山中の各所に建物跡と見られる平坦地が残っている。 昭和49年から53年まで発掘調査が行なわれ、児神社境内から平安時代の掘立柱建物三棟、中世の礎石建物二棟などが発見され、塔跡のみの指定から寺域全体に指定範囲が拡大された。 ※史跡は国民全体の共有財産です。大切に保存しましょう。 昭和62年1月11日 小牧市 社頭掲示板 |