西成東小学校北に鎮座する。 古代氏族の工氏(たくみ)(工部・工造・工君)に由来する名と言われている。 神階も正四位下・従三位上・従一位と見え、鎌倉時代から室町時代にかけて昇叙したと見られる。 中世衰退し西大海道村の天神ノ社として遺称する小祠が残されていた。 明治3年、この小祠が式内社宅美神社と確定された。 |
由緒 祭神、武田王。 当社ハ本国神名帳ニ従三位宅美神社ト見エ日本武尊ノ御子、仲哀天皇ノ皇弟武田王ヲ奉祀ス、王ハ丹羽建部君ノ御祖ニシテ、此ノ地ニ在ラセラレ土地ヲ墾キ産業ヲ勧メ美術工芸ヲ指導守護シ給イ古来此ノ地ヲ工ト称シ奉ル所以モ亦是ニ起因セリ、御所屋敷跡ハ現在ノ参道南部一帯デアル。付記、建部ノ制度、景行天皇ハ日本武尊ガ伊勢ノ能褒野ニ薨ゼラレシヲ痛ク悼マセラレテ其ノ御名代トシテ諸国ノ建部ヲ置カレシガ、当国ノ建部ハ尊ノ御子、武田王ガ率ヒラレタリシガ丹羽建部君デアル。昭和7年4月29日 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
宅美神社 長谷部利雄氏(昭和48年80才ほど)の談によると、祖父長谷川鎌太郎の時、明治初年に縣から宅美神社を祀れと嚴命があった。さりとて、誰もそんな厄介な事を進んで引き受ける者はいなかった。たまたま鎌太郎が、先祖が長谷川内匠頭と称して祠官をやっていたというので、由緒ある宅美神社の滅亡をなげき、縣の指示に從って祀ることになった。姓を長谷部と改め、名も雄建と改めた。村中で長谷部姓は一軒、氏子も同家だけであった。しかし、一軒ではいけないので籤で四十五軒を氏子に決めて発表したという。(中略)式内社治定の要素として地名が重視されるようだが、本社の場合は、縣からの命により、やむなく宅美神社を創建したようである。 式内社調査報告 |
宅美神社 由緒記 式内 宅美神社 祭神 武田王 当社ハ本国神名帳二従三位宅美天神ト見エ日本武尊ノ御子仲衷天皇ノ皇子武田王ヲ奉祀ス。 王ハ丹羽建部君ノ御祖ニシテ此ノ地ニ在ラセラレ土地ヲ墾キ産業ヲ勧メ美術工芸ヲ指導守護シ給ヲ古来此ノ地ヲ工ト称シ奉ル所以モ亦是ニ起因セリ。 御所屋敷跡ハ現在ノ参道西南部一体デアル。 附記 建部ノ制度 景行天皇ハ日本武尊ガ伊勢ノ能褒野ニ薨ゼラレシヲ痛ク悼マセラレテ其ニノ御各代トシテ諸国ノ建部ヲ置カレシガ、当国ノ建部ハ尊ソ御子武田王ガ卒ヒラレタ、ソレガ丹羽建部君デアル。 昭和7年4月29日 社頭掲示板 |
一宮市指定文化財 天然記念物ヒトツバタゴ 一樹 指定日 平成9年2月21日 所在地 宅美神社 ヒトツバタゴは、ハナノキ、シデコブシとともに濃尾地方に自生する名木として有名である。特に、ヒトツバタゴは、俗にナンジャモンジャ、アンニャモンニャと呼ばれ、一般にも知られている。犬山市池野には、国指定天然記念物の自生地があり、植栽樹は各地の神社、寺院等でよく見かける。 ヒトツバタゴは、大きなものになると高さ30mにも達する落葉高本である。花は、白色で、五月項に枝の先に固まって咲き、遠望すると雪をかぶったようで美しい。 宅美神社のヒトツバタゴは、境内のほぼ中央、拝殿の南西にあり、高さ約20m、目通り180cmの大木で、現在知られている限り、市内で最も大さなものである。樹齢は約200年と推定され、樹勢も良く、枝の損傷等も見られない。 なお、神社南側入口にも小さい株が2本ある。 一宮市教育委員会 社頭掲示板 |
宅美神社 宅美は多久三と訓べし○祭神在所等詳ならず○当郡託美神社もあり見合すべし 神位 國内神名帳云、從三位宅美天神、 神社覈録 |