天平勝宝4年(752)に摂津国生田神社の祭神を勧請したという。 神階は正四位下・従三位上・従一位とあり、鎌倉時代から室町時代にかけて昇叙した。 当社は徳重村の米野より移したものとする伝承がある。 |
生田神社 生田は伊久多と訓べし○祭神倉稻魂神、(集説)○井上庄芝原村に在す、(集説、府志) 類社 摂津國八部郡生田神社の條見合すべし 神位 國内神名帳云、從三位生田天神、 神社覈録 |
郷社 生田神社 祭神 稚日女命 創立年代詳ならす、但本村後藤氏系図の慶長13年郡代伊奈備前守常村検地のことを記せる條に、 「当村氏神由緒等御尋に付、後藤代々之系図、生田天神天平年中当村下降之由来具に串上云々、」 と見えたり、延喜式内社にして、奉唱國帳に「從三位生田天神、」と見え、参考に「一本作正四位下、井上庄芝原村、」と記せり、明治5年郷社に列せらる。 社殿は本殿、祭文殿、拝殿等を具備し、境内地552坪(官有地第一種)あり、因みに尾張志は、当社を以て生田神社とせるは誤りなりとて、「今は春日井郡に属る徳重村のうち穀野といふ地に坐て。生田大明神と称す」といへり、後考を俟つ。 明治神社誌料 |