余野神社には、神社宝物として青銅鍔口(町指定文化財)があり、その銘文に奉納神明大菩薩寄進之慶長二年丁酉正月吉日中嶋左兵衛尉とあり、その裏に「延喜式曰立野神社是也」と記されている。 余野神社は、大正6年7月神明社と八幡社が合併し、改称されたものである。それ以前の明治41年には、神明社に、熊野社・諸鍬社・須佐之男社が、八幡社に愛宕社が合祀されている。 余野神社に合祀されている神明社を立野神社に比定する説がある。 八幡社は1596年(文禄5)、神明社は1597年(慶長2)に中嶋左兵衛により創建されたと伝。 諸鍬神社は余野神社に合祀とする説があるが詳細は不詳。どこにあったのかも不詳。 津田正生(「神名帳集説訂考。尾張國地名考)は、「此神社いまは余野村に属て余野天神とよぶ宮是なるべし」と当社を小口神社に比定している。 |
余野神社 御由緒 当地は古く神明社並に八幡社の神域であってその後熊野社諸钁社須佐之男社天神社愛宕社垣田社境内神社の神明社を合併合祀せられた。 ついで神明社と八幡社との合併と共に村社余野神社と改称し昭和4年指定村社となり昭和43年神社本庁の包括を受けた宗教法人余野神社となったものである。 社頭石碑 |