式内社調査報告では「諸钁神社」と表記する。 がくでん駅北東に鎮座する。 創祀年月を仁寿元年(851)としているが不詳。 恒武天皇の御代、尾張、伊勢の土族退治に官兵を派遣された。 土族は狂暴で征伐できず征夷大将軍坂上田村麿を遣わした。 田村麿は日頃崇拝していた建御名方神(諏訪大明神)をこの地に分霊を祀り、無事征伐したという。 神階は正四位下、従位上、従一位と鎌倉から室町時代にかけて昇叙したようである。 中世は諏訪神社と称された。 |
諸鍬神社 諸鍬は毛呂久波と訓ベし〇祭神在所等詳ならず 類社 当國海部郡諸鍬神社の條見合すべし 神位 國内神名帳云、從三位諸鍬天神、(一本作諸桑) 神社覈録 |