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扶桑中学西に鎮座する。 この地を支配していた前刀連の前方後円墳の上に神八井耳命を神祖として建てられた神社であろう。 氏族名・郷名・社名が共還し、地名あるいは氏族名に由来する社名である。 神階も正四位下・従三位上・従一位と鎌倉から室町時代にかけて昇叙した。 維新前まで高雄字羽根に所在した満光院(現在廃寺)が社僧として奉祀したという。 |
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由緒 神八井耳命は神武天皇の第一皇子といわれ綏請天皇の兄とされています。上古では祭政二元制をとっており兄が祭事を司り弟が政事を行なう天皇に即位される慣わしとなっており祭事の相続権を持った兄が上位とされておりました。 この尾張一帯はかつて上古の時代丹羽臣が支配しておりましたがその始祖が神八井耳命とされております。斉藤を中心とした和田勝佐、山尻、江森、高屋、高木、山名、柏森を支配していた豪族の前刀連は丹羽臣の同族となっていたため前刀連の前方後円式古墳の上に神八井耳命を神祖として建てられた神社とされています。 創建年代は不詳でありますが延喜式神名帳に記されており今から約1300年以前に建てられた古い神社であります。昭和13年3月12日県社に昇格された由緒ある格式の高い神社であります。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
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扶桑町指定文化財(書跡) 前利神社掛け軸 前利神社の祭神は神八井耳命 本殿は、流造で昭和10年4月に造営されている。 旧斉藤村は「和名抄」に前刀と書かれ、慶長13年(1608)の検地帳にも前刀村と記されている。 また、「続日本後記」に「承和8年(894)4月乙己右京人勘解由前刀連氏益賜姓県連神八井耳命之後云々」とあり、この氏益の本居がこの地であったということから、県主前利連の氏神とされる。 「県屋敷」「県タ」という地名も残っている。 この書跡は、明治3年10月名古屋藩知事徳川慶勝卿が自ら参拝し、東京浅草瓦町の私邸にて「前利神社」と扁額に揮毫し奉納したものである。 社頭掲示板 |
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前利神社 扶桑村大字齋藤字宮添3番 県社 前利神社 祭神 社伝に神八井耳命なりと 由緒 延喜式神名帳に前利神社本国帳に従三位前刀神社とある是なり抑々当村は和名鈔に前刀と見ゆ今大字名に齋藤の文字を用ふれども古は前刀と称へ来れり依て慶長13年の検地帳にも前刀村とあり続日本紀に承和8年4月縣主前刀連氏益賜姓縣連神八井耳命の後也云々とありて此の氏益の本居は当地なりと言伝はれり現に縣やしきと唱ふる地名郷中に存せり明治40年10月26日神饌幣帛料供進社に指定昭和10年3月12日村社より県社に昇格指定せらる 社頭石碑 |
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前利神社 前利は佐岐登と訓ベし、和名鈔、(郷名部)前刀、〇祭神神八井耳命歟○高雄庄齋藤村に在す(集説、府志、) 神位 國内神名帳云、從三位前利天神、(一本作前刀) 氏人 続日本後紀、承和8年4月乙巳、右京人勘解由主典正六位上縣主前利連氏益賜姓縣連、神倭磐余彦天皇第三皇子神八井耳命之後也、 神社覈録 |