一宮東養護学校西、東光寺の南西に鎮座する。 創立年月は不詳であるが、社説では大宝元年(701)としている。 尾張丹羽臣は今の一宮市大和町一帯に勢力を張った豪族で当社は尾張丹羽臣の祖である神八井耳命を祭つたものであろう。 神階も正四位下から従三位上、従一位と鎌倉時代から室町時代にかけて昇叙していった。 昔は大江川の東南、天神の地に鎮座していたという。 寛文6年(1666)に、河川氾濫による村落の移転とともに古宮の地より現在の地に遷座し、臨濟宗の恵日山東光寺の境内に建ち、同寺社僧によつて祭られ、明神社と称していた。 明治3年9月には祭神神八井耳命として式内尓波神社と確定された。 |
由緒 当神社は延喜神名式に丹羽郡爾波神社、尾張国内神名帳に従三位上丹羽天神、奉唱国内神名帳に従一位丹羽大神とあり、俗に明神の社丹羽大明神社、爾波天神祠などと称してきた。 祭神、神武天皇御子神八井耳命、往古尾張丹羽の県を治めた命の後裔丹羽の臣がその祖神を祀つったものである。 創立、人皇第42代文武天皇大宝元年1月。 鎮座地、元大江川東南天神の地にあったが、寛文6年荒地破地を開墾して此の地に移し奉り大宮跡壱反五畝を除地として神事に充てて来たが、大正年度耕地整理後はその旧蹟は止めない、社殿は天文時代火災に罹り社記とともに焼失して由緒詳かでないが、俚伝に古来丹羽郡の総社と云われている、昭和26年日米平和条約締結以前に氏子の勇気と総力により、同20年7月28日に空爆により焼失した本殿を同23他社に先んじて再建、次いで祭文殿、社務所及び末社に至るまで悉く復旧した。 祭日、古来旧暦8月15日のところ大正の中頃農事の都合により陽暦10月24日に改める。 社格、明治5年5月式内郷社に列せられ同10年10月26日神饌幣帛供進神社に指定。 末社、神明社、天照大神、寛正3年創立、稲荷社、豊受大神、天保六年創立、秋葉社、迦具土神、天保元年創立、金比羅社、大物主命、不詳。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
爾波神社 爾波は假字也、郡名に同じ、和名鈔、(郷名部)丹羽、○祭神大荒田命〇高雄庄丹羽村に在す、今明神と称す、(集説、府志、)○旧事紀、(天孫本記)天香語山命十二世孫建稲種命、邇波縣君祖大荒田女子玉姫為妻、云々、 神位 國内神名帳云、從三位爾波天神、 神社覈録 |
郷社 爾波神社 祭神 神八井耳命 創立年代詳ならすといへども、社説大宝元年とす、延喜式内社にして、国帳に「從三位爾波天神、」と見えさせ給ふ、元と本郡惣氏神にあらせられ、大江川の東にありしを、寛文6年今の地にうつし奉りしと、往昔の社地を古宮といふよし尾張名所図会に見えたり、今は本村の産土神にして、明治5年郷社に列せらる。 社殿は本殿、祭文殿、拝殿等を具備し、境内地149坪(官有地第一種)あり、元と社僧あり東光寺と称せり。 「古林煙接野人家、桑柘陰々映淺河、鴎鷺不離祠下水、半江秋雪宿蘆花 鷲津蓉裳」 明治神社誌料 |