山那神社
やなじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】山那神社 尾張国 丹羽郡鎮座

   【現社名】山那神社
   【住所】愛知県丹羽郡扶桑町南山名森 58
       北緯35度22分2秒,東経136度54分23秒
   【祭神】八野若比売命 日本武尊 神功皇后 応神天皇 玉依姫命
   【例祭】10月第3日曜日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創建年代不詳
       戦国乱世の頃所在未詳
       明治6年3月郷社
       同35年1月天神社から山那神社へと社号復旧
       同40年10月26日神饌幣帛料供進社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「天神社」と称していた
   【社殿】本殿神明造銅板葺
       社務所・拝殿・祭文殿・氏子集会所

   【境内社】秋葉社・津島社・養蚕神社・金刀比羅社・御嶽社

山名小学校南に鎮座する。
創建年代不詳であるが、神階も正四位下から従三位上、従一位と鎌倉時代から室町時代にかけて昇叙していった。
戦国乱世の頃に、所在未詳となった。
江戸期に南山名村の天神社が当社と考証され、文化年中には、当社社人澤木氏と北山名村天神社社人尾関氏との間で式内社が争われ、当社の方に裁許が出た。
明治35年1月に天神社から山那神社へと社号を復旧している。
別説では、山名村が北山名村と南山名村に分離したさい、山那神社を2つに分祀したともいう。


山那神社

御由緒記
郷社 山那神社
祭神 八野若比売命 日本武尊
当神社は延喜式神名帳に山那神社本国帳に従三位山名天神と之れ有り。
八野若比売命は素盞鳴命の御女にましまして大国主命の御妃になり当地方開拓の御祖神なり、日本武尊は稍後代の合祀にまします由相伝う。
明治3年社号を天神社と改む。
明治6年3月郷社に列せられる。
明治35年3月延喜の旧号山那神社に復す。
一、八幡社 
  祭神 神功皇后・応神天皇・玉依姫命
一、八幡社
  祭神 仲哀天皇 明治43年3月合祀
一、大明神社 
  祭神 素盞鳴命・大正9年12月合祀
附記
当地方の名称ヤナ(山名、山那、也奈、八名、夜奈等は皆填で其の起源諸説あるも往古木曽川は堤防無き時代は蜘蛛手の如く流れ当地方は□八原野を形成し其の八野の音便がヤナに転訛せる説信に近し。
昭和9年10月15日

社頭掲示板



山那神社のケヤキ

種別 天然記念物
所在地 南山名字森1
説明
このケヤキは、尾張平野部としては屈指の巨木で樹勢も旺盛である。
由緒ある式内社山那神社の境内にあってその長い歴史を物語る象徴として貴重である。
樹高30メートル・胸囲4メートル。

社頭掲示板



山那神社

山那は夜萬奈と訓べし○祭神詳ならず○高雄庄南山名村に在す、(集説、府志、)
類社
遠江國山名郡山名神社
神位
國内神名帳云、從三位山那天神、

神社覈録



郷社 山那牌社

祭神 不詳
一説 八野若比売命 又云日本武尊
旧と天神社とも称す、創立年代詳ならずといへども延喜式内社にして、国内神名帳に「従三位山那天神」と見えさせ給ふ、当社の式内社山那神社なることは、諸書の証明に依りて明らかなるが、往古は頗る大社なりしが如し、即ち社辺に馬寄、馬留、神地等の字名散在す、古来山名村の産土神にして、旧領主の崇敬殊に厚く、寄進代参少からす、明治5年郷社に列せらる。
社殿は本殿、祭文殿、籠所等を具備し、境内地1082坪(官有地第一種)あり、古桧老杉森々として四囲を掩ふ、当社宝物少からざるが、正暦2年を始め延宝、正徳、享保、元文、宝暦、安永の棟札を蔵す、稀に見る所なり。

明治神社誌料



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