名鉄犬山線線路の東に鎮座する。 江戸時代中頃までは所在地不詳とされていた。 当地の産土神熱田大明神社(新宮とも称す)を明治3年9月に式内社の伊賀々原神社とした。 伊賀原氏の本居は当郡にあり、当社は伊賀原氏の祖先神である伊香賀色雄(醜男)を祭つたものかと考えられる。 |
市指定文化財 名称 あべまき 所在地 木賀東町 所有者等 伊賀々原神社 種類 天然記念物 指定年月日 昭和55年8月11日 樹高 16メートル 目通り 2.8メートル 枝張り 16メートル ぶな科に属する落葉喬木です。樹皮は厚く、コルク層がよく発達して凹凸があります。葉は互生した長楕円形で、先端はとがっています。雌雄同株で五月に開花します。雄花の花穂は新枝の基部より下に垂れています。雌花は新枝の葉腋につきます。秋には線状長鱗片のある殼斗の中に堅い果をつけます。 伊賀々原神社のあべまきは、境内東南の入口に近い社務所の前、石垣の近くに生えています。幹が5メートルほどで大枝に分かれ、枝張りがよく樹勢はなお旺盛です。 社頭掲示板 |
伊賀々原神社 『伊賀々原神社』由緒・略記 所在地 江南市木賀東町新宮448番地 祭神 日本武尊 社格 十一級旧郷社 創祀年代は不詳 式内社(延喜式の神名帳(927年)にのっている神社で千年以上前からあったと伝わっています) 建物 本殿 祭文殿 拝殿 神楽殿 社務所 摂社 高座社 由緒 伊賀々原神社のご祭神は、古事記や日本書紀に登場する日本武尊です。 日本武尊は景行天皇の御子で、天皇の命により九州の熊襲や東国の蝦夷を征伐された武勇にすぐれた神様です、日本武尊は蝦夷征伐に立たれるとき、伊勢神宮へ参拝し、草薙剣を賜り東国へ進まれました、尊は草薙剣を使って敵の火攻めを防いだといいます。 神社の創祀年月日は明らかではありませんが、平安時代の延長5年(927年)にできた延喜式の神名帳に「丹羽郡伊賀々原神社」と記載があり、千年以上も前からあった古い神社です、明治3年9月に式内社に定められ、明治5年には郷社となりました。 また、古文書や棟札には「尾張国稲木庄木賀村熱田大明神」と記されています。これは昔の人が熱田神宮に似せて社を建てたもので、熱田神宮の御神宝草薙剣と関係の深い日本武尊をこの地の守護神として祀ったものと考えられます。境内社も熱田神宮に関係があります。 神社の祭礼はもとは10月17日でしたが、今は10月第三日曜日となりました。 大正時代から戦前にかけては飾馬が、二、三十頭も出たり、青年相撲大会が開かれたり、夜には獅子芝居も行われたりとにぎやかでありました。 昭和34年の伊勢湾台風以前は杉の大木が多くこんもりとしていましたが、倒れて少なくなりました。それでも樹木の捕植が行われ今では立派に成艮しています、境内の南側は立派に玉垣が完成し、境内の一部は子どもの遊園地、住宅地にも利用されています。 社殿の老朽化が進みましたので、平成23年、3月改築遷座され、平成27年4月に社務所が改築されました。 令和2年12月吉日記 社頭掲示板 |
伊賀賀原神社 伊賀々は假字也、原は波良と訓べし○祭神在所等詳ならず 神位 國内神名帳云、從三位伊賀々原天神、 神社覈録 |
郷社 伊賀々原神社 祭神 日本武命 新宮とも称す、創立年代詳ならすといへども、当社延喜式内社にして、国内神名帳に「従三位伊賀々原天神、」と見えたり、但式の伊賀々原天神の所在に就いては、久しく疑問たりしが、近世の学者皆当社を以て式内社とす、即ち特選神名帳の如き当社を以て之れに擬して云く、 「今按、尾張式社考に、尾張志に木賀村にまして、新高とまをす社是なり。木賀もと幾賀と書き、伊久賀と訓じて、終に木賀と訓ことゝなれる也とみえ、尾張神社考も同説にて、享保の説までは、幾賀とかけり、されば志説強説にもあらざるべしと云へるによれり、」 明治3年9月式社と定められ、5年郷社に列す。 社殿は本殿、祭文殿、拝殿等を具備し、境内地2100坪(官有地第一種)あり。 明治神社誌料 |