入鹿池北集落の奥。尾根の上に鎮座する。 寛平3年に現若宮の地に勧請し天神社と称した。天正15年現地へ。 明治初年に現名。明治3年までは宅美天神と称され、式内社の宅美神社と考えられていたが、同年に宅美神社が一宮市西大海道の天神の森に確定されたため天神社と改称され、同32年12月25日になつて石作神社と改称された。 尾張国の古墳出土石棺は、尾張国の東北部に限られ、その石材(凝灰岩)産地は、入鹿池北の今井であると言われている。 |
石作神社 御祭神 天照皇大御神・菅原道真・大己貴命・小彦名命・菊理姫命 御由緒 当神社は今から約千年前の寛平3年に若宮の地に勧請された天神社がその始まりで天正15年神官中野開運によって現在地に移された。 その後江戸時代に白山社などが合祀され明治初年に村社の指定を受け石作神社と改称した。 御祭神の一人菅原道実公は学問の神様であり明治初期には境内の舞台にて子弟の教育がなされていた。 神主 山田明敏 社頭石碑 |