社伝では「延喜式神名帳(平安時代)に記されている川島神社は当社のこと」とされている。 |
由緒 当神社の創立年代は不詳である。祭神は国民すべての祖神天照大神である。延喜式神名帳(平安時代)に記されている川島神社は当社のことで往古は松倉村をはじめ近郊十四ケ村を有していたと伝えられ永緑年間(戦国時代)坪内美濃守の産土神で松倉城築城の際鬼門に相対する神社として殊のほか崇敬のあった神社である。明治6年1月郷社に昇格す。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
神明神社 当神社の創立年代は不詳である。祭神は国民すべての祖神天照大神である。延喜式神名帳(平安時代)に記されている川島神社は当社のことで往古は松倉村をはじめ近郊十四ケ村を有していたと伝えられ永緑年間(戦国時代)坪内美濃守の産土神で松倉城築城の際鬼門に相対する神社として殊のほか崇敬のあった神社である。明治6年1月郷社に昇格す。 岐阜県神社庁 |
郷社 神明神社 祭神 天照大神 創建年代詳ならず、口碑によれば、創立は寛平年間にありと、新撰美濃志に。「松倉村は小網の西にありて、もとは松倉島といふ、尾張御領御旗本(坪内氏)領とも百八十石四斗の地なりしが、川欠ヶに損没して田畠全からす、枝村を牛子といふ、神明神社二社」と見ゆ、されば其何れか当社なるべし、川島は圓城寺の東南なる河洲の地にして、木曽川東より来り、漸く山谷を出て平夷の河流に就くを以て、此に至りて河幅頓に廣く、河中に数島あり、古来数次木曾川汎濫して、水害を蒙ること多大なるを以て、之が害を防がんがために、本社を勤請鎮斎せし由里伝に見ゆ、斎神記に、「川島神社、所在不詳、祭神天照大神」とあるは即ち是なり、社伝によれば、昔時坪内美濃守の松倉に城を築きてより崇敬頗る厚く、域は改造修理を加へしこと数回に及ぶと、惜むべし、今其年月を詳にせす、明治6年1月郷社に列せらる。社殿は本伝、幣殿、拝殿、神樂殿、嗽水舎、神饌舎、社務所等を具備し、境内坪数4640坪(官有地第一種)あり。 明治神社誌料 |