綾衾神社
あやぶすまじんしゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】宇夫須那神社 尾張国 葉栗郡鎮座

   【現社名】綾衾神社
   【住所】岐阜県羽島郡笠松町中野村北194番地
       北緯35度22分31秒,東経136度47分40秒
   【祭神】宇夫須那神
   【例祭】4月15日前の日曜日 例祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】津島神社・木瀬神社・金刀比羅神社

津田正生『尾張神名帳集説乃訂考』において、「美濃に入中野村綾衾明神と呼もの是なるべし。綾衾はあぶすまとよむべし。あやふすまと読は誤也。阿夫須萬は則宇夫須那の転聲なり」としている。


綾衾神社

創祀不詳。当社は天正年前、尾張國葉栗郡の内なり。里伝に、旧記無之縁由不詳。尾張國式内従三位宇夫須那神社、正考美濃國中野村綾衾明神と呼ぶもの是れなるべし。綾衾はあぶすまと読むべし。あやぶすまと読むは非なり。阿夫須万は則ち宇夫須那の転声なり。里老曰く、栗木は葉栗郡根本の地なり。後世今の川(宇井松本より海西郡古中島と伊勢の全廻り本まで)の川中となりて潰れたり。今絶々薬師寺の西大堤の外に民三戸ありて栗木と呼ぶ。正生考(中野、栗木、薬師寺、円城寺、無動寺、若宮地、笠田島は葉栗郷の市員なるべし)和名抄葉栗郡葉栗郷天野曰く、宇夫須那は産土の云ひなり。出口延綴曰、風土記を按ずれば、此の郷は庵入比□羊命降誕の地也。正生考葉栗臣は天押帯産命の裔なり。其の葉栗臣の子に廬入姫生れ給ひけるとなむ。猶考葉栗郷は栗木中野の辺に当たり葉栗郷は島村の方に当たれるなるべし。尾張國神明帳集説考訂に式内宇夫須那神社尾張國葉栗郷門間庄島村に在とし、張州府志亦同じ。神明帳考証には門間庄とありて村名なし。又廬入姫は五百木入姫にて景行天皇の皇女なり。此姫命は尾張國にて生坐けむと平田篤胤が古史伝に云へり。

岐阜県神社庁



綾衾神社

当綾衾神社の御祭神は「宇夫須那神」で由緒、創立年度は不詳であるが、『尾張神名帳集説考証』に「式内従三位宇夫須那神社」という記述があり。津田正生は「美濃に入中野村綾衾明神と呼もの是なるべし。綾衾はあぶすまとよむべし。あやふすまと読は誤也。阿夫須萬は則宇夫須那の転聲なり」と記している。

社頭石碑




綾衾神社

神社 社務所改築の碑
綾衾神社
当綾衾神社の御祭神は「宇夫須那神」で由緒 創立年度は不詳であるが、尾張国神名集説に「式内従三位宇夫須那神社」という記述があり、津田正生は「美濃に入る。中野村綾衾明神と呼ぶもの是なるべし。宇夫須那は即ち宇夫須那の転声なり。」と記している。
(中略)
当初の神社及び関連施設は、濃尾震災の二十年後、1911年(明治45年)中野住民37戸の尽力により、中野地内に点在した四社を現在の笠松町中野字村内184番地に集め復興されました。
しかし、建立されて約901年間、その時々の住民の手により、修復されてきましたが、今日建物の老朽化が著しく、維持することが非常に困難となり、町内住民の総力により改築したものであります。

社頭石碑



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