国道21号の南に接して鎮座している。 祭神建眞利根命は垂仁天皇の皇后日葉酢媛命の石棺を作り献じて、姓を石作大連公とされた。その族人の氏神とするところである。 式内社石作神社が尾張地方に4社もあることは石作氏一族の繁栄を示している。 |
由緒 第60代醍醐天皇の延喜年間に着手され、延長5年(927年)に完成した。延喜式の神名帳に石作神社が六社記載されており、そのうち4社が尾張地方御鎮座になっている。建眞利根命は、天照大神の御ん孫天火明命の6世の子孫である。第11代垂仁天皇の皇后日葉酢媛命のため石棺を作って献上し、大連公の姓を賜った。石作大連公は建眞利根命の子孫である。石作氏一族は石作りを業とし、各地で活動する大氏族となり、祖先をお祀りする石作神社を創建した。式内社が尾張地方に4社もあることは石作氏一族の繁栄を示している。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
石作神社 郷社式内石作神社記 延喜式神名帳曰尾張国葉栗郡十座之内石作神社者即是本社也 □石作連之祖建真利根命為新撰姓氏録左京神別曰石作連天明命六世孫建真利根命之後也 垂仁天皇御世奉為皇后日葉酢媛命作石棺献之仍賜姓石作大連公也 御宇創建年次雖不詳蓋肇於石作氏報賽祖神也爾来尊称石作大明神崇敬不浅矣至天正年間木曽川氾濫葉栗郡中断而□地属美濃国後至明治3年名古屋藩庁改称式内石作神社 同六年列郷社 乃今併記豊受大神孫若御子神二神賽者四時不断遠近莫敢□崇仰焉乃郷民相謀扶老携幼函鳩良材募民匠企殿宇神域□築不日功竣神徳愈加霊焉鳩呼威哉矣 社頭石碑 |
石作神社 第60代醍醐天皇の延喜年間に着手され、延長5年(927)に完成した。延喜式の神名帳に石作神社が六社記載されており、そのうち4社が尾張地方御鎮座になっている。建眞利根命は、天照大神の御ん孫天火明命の6世の子孫である。第11代垂仁天皇の皇后日葉酢媛命のため石棺を作って献上し、大連公の姓を賜った。石作大連公は建眞利根命の子孫である。石作氏一族は石作りを業とし、各地で活動する大氏族となり、祖先をお祀りする石作神社を創建した。式内社が尾張地方に4社もあることは石作氏一族の繁栄を示している。勧請年紀不詳。当社は葉栗郡上門間の庄三宅村(古名井口村)の枝名木瀬の里にあり。天正年前は尾張國葉栗郡の内なり。延喜式神明帳曰く、尾張國葉栗郡(十座の内)石作神社。尾張神名帳に曰く、葉栗郡(十二座の内)従三位石作天神一本作正四位下。尾張志曰く、美濃國葉栗郡三宅村石作大明神是也。尾張國神名帳集説考訂曰く、従三位石作神社正生考美濃國に入る葉栗郡三宅村の枝村なる石作明神是なる可し。承久記に伝へるあり。氣瀬の渡り是なり。今は其川も田所となれり。新撰美濃志曰く、三宅村石作大明神社村内に在り云々。当社昔より石作大明神と称せるを濃陽志略本國帳集説等に式社の考をもらせり。姓氏録左京神別曰く石作連は火明命六世の孫建真利根命の後なり。垂仁天皇御代奉為皇后日葉酢媛命作石棺献之乃賜姓石作大連公也。又尾張國中島愛知両郡にも石作神社あり。石作連は尾張氏同祖にして天火明命の裔孫なり。 岐阜県神社庁 |
石作神社 石作は以之豆久利と訓べし〇祭神石作連祖歟○在所群ならず 類社 山城國乙訓郡石作神社の條見合すべし 神位 國内神名帳云、從三位石作天神、 神社覈録 |