阿遅加神社
あぢかじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】阿遅加神社 尾張国 葉栗郡鎮座

   【現社名】阿遅加神社
   【住所】岐阜県羽島市足近町直道坂入会 1
       北緯35度21分0秒,東経136度43分5秒
   【祭神】日本武尊
       『特選神名牒』未詳
       『濃飛両国通史』『羽島市史』日本武尊
       『本国神名帳集説』阿遅古連公

       式内社としての本来の祭神は、未詳とすべきであろう。

   【例祭】10月10日例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】日本武尊の御子稚武彦王がこの地に社を建てて鎮祭
       明治6年1月郷社
       明治40年3月27日神饌幣帛料供進社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八幡社」「八剣大明神」と称していた
   【社殿】本殿神明造
       式殿・拝殿・手水舎

   【境内社】

境川南岸に接して鎮座する。
「アヂカ」は、式内社の社名であるとともに、古代中世には「足近郷」と呼ばれ、近世には「足近村」と称し、今も羽島市「足近町」と呼ばれている由緒ある地名である。
この境川はかつての木曽川であり、古代中世においては文字通り美濃と尾張の国境をなしていたと考えられる。
天正年間、現在の木曽川を境に美濃国と尾張に分かれた。
境内前には用水が流れる。
日本武尊が伊吹山の荒神を鎮めるために宮簀媛の所から伊吹山に向かう途中、ここに霊泉があるのを知って暫く休憩した。
尊の御子稚武彦王がこの地に社を建てて鎮祭した。
拝殿と本殿は石段の上にあり、拝殿とは高低差がある。末社摂社が一切無い。


阿遅加(あぢか)神社の伝説

昔、日照りが続いていたある夏の日のこと。近江の国の村人たちが、はるばる阿遅加神社にやって来て雨乞い祈願をしていました。その村人たちは、これからは自分たちの村でも雨乞いをしたいものだと相談すると、社宝の「雨石さま」の霊石をこっそり盗んで持ち帰っていきました。たっぷり水の入った桶の中に霊石を沈めてみると、たちまち何日も大雨が降り、洪水になってしまいました。神罰を恐れた村人たちは、またこっそり阿遅加神社にやって来て、近江縮緬(ちりめん)をお供えし、雨石さまを返していったそうな・・・。
 阿遅加神社の本殿に安置してある雨石さまは、横30p、縦20cmほどの黒茶色の楕円形の石といわれ、昔は神官さんが榊(さかき)で清水をふりかけ祈願すると、不思議と程よい雨が降ったそうです。
 足近町にある阿遅加神社は、日本古代の英雄日本武尊(やまとたけるのみこと)が坂井の霊泉で休息された縁をもって、御子稚武彦王(みこわかたけひこおう)が祭られた神社で、昔は足近郷(足近輪中)10カ村の総社であったといいます。

羽島市HP



阿遅加神社

勧請年紀不詳。葉栗郡西門間荘足近郷直道村に鎮座。旧号八剣宮。古来足近郷十ヶ村の惣社なり。十ヶ村は直道村、川口村、島村、南川村、市場村、小荒井村、南宿、村北宿村、坂井村、東小熊村を云ふ。古へ尾張國葉栗郡の内なり。延喜式神名帳に曰く、尾張國葉栗郡(十二座の内)阿遅加神社。尾張國神名帳は葉栗郡(十二座の内)従三位阿遅加天神(一本作正四位下)は当社なり。尾張國神名帳集説に曰く、従三位阿遅加天神一本作足近按日本紀に曰く、応神天皇20年倭漢直祖阿知便主来皈云。万葉集曰く味?綾云々阿知織欣秘曰く、旧日本事記曰く、宇麻志麻能命十五世物部阿遅古建公云々。加與古昔通蓋祭此連公。尾張志曰く、足近今は美濃國足近荘直道村は八剣社是なり。又濃陽志略に曰く、葉栗郡直道村八剣宮伝云為足近十郷惣社云々。新撰美濃志曰く、直道村云々。郡村記には、足近荘とす。足近は十郷ありてここを本所とす。境川は村の西北にあり。昔は足近川と云ひしにや。東鑑に文治9年10月25日云々可令田足近洲俣渡云々。俣嘉禎4年2月9日西去夜風雨洲俣足近両河浮橋流損云々。里伝曰く、当社八剣神を祭れる由、其の所以は往昔日本武尊東夷征討ふる時皈途尾張國尾張氏の女宮簀媛所に逗留し給ひし所、近江國伊吹山に荒神ありと聞き給ひて此処を出にして息吹山へ行き給ふ時、海東海西中島の三國を経て葉栗郡に入り給ふ。即ち現今の社地栄井に霊泉あり。依て暫の憩給ふ時に御饌を奉りしに、其した愛で給ひて味佳と記し給ひてあり。即ち阿遅加の地名は起こるなり。斯くて後伊勢國能褒野にて薨じ給ふ。御子若武彦王は深く是を悲悼し給ひ父命の憩給ひし此処に宮造りて其の跡を残し給ふ。即今の阿遅加神社の地是なり。

岐阜県神社庁



阿遅加神社縁起

鎮座地 羽島市足近町直道1088の1
祭神 日本武尊
社格等 式内杜(小)、元郷社
由緒
創建年紀不詳。「延喜式神名帳」に登載されている。(千年以上の歴史的生命のある宗教施設となる。)旧号を八剣宮(通称八剣様)と言った。古未足近郷十ケ村(足近輪中内の村々)直道・北宿・市場・南宿・小荒井・南之川・坂井・東西小熊・川口・島の総社であった。
古くは「尾張国神名帳」の従三位阿遅加天神は当神の事であり、今は当国の内にあらず美濃の足近荘直道八剣の社是也とある。(1586年木曽川の大洪水により大きく流れを変えてしまう。尾張国と美濃国の境が新しい木曽川の流れに変更される。)一方「濃陽誌略」に葉栗郡直道村八剣宮は十郷の総社と記している。
里伝によれば東征を終え、尾張国にたどり着いた日本武尊は、伊吹山の荒神を平定するために熱田の宮から舟によって当地方をお通りになり、この地に霊泉があって暫く休まれた。土地の人がお食事と水を差し上げたところ、大変おいしかったので思わず「味佳」といわれたことが地名化したものである。尊は、大和国に帰る途中で亡くなった後、尊の子である稚武彦王がこの地えお訪れ、日本武尊を祀る社を建てたのが即ち阿遅加神社である。
伝説
阿遅加神社の本殿に安置してある社宝の「雨石さま」(雨乞石)は、昔は神官さんが榊(さかさ)で清水をふりかけ祈願すると、不思議と程よい雨が降ったそうです。
例祭
10月10日前後
阿遅加神社 氏子会

社頭掲示板



阿遅加神社

阿遅加は仮字也〇祭神詳ならず○足近直道村に在す、今美濃國に属す、(伴信友私考)
集説に、按、日本紀曰、応神天皇20年倭漢直祖阿知使主来阪、云々、寓葉集曰、味凍綾云々、(考証同じ)阿智織綾歟、私云、旧事紀曰、宇麻志麻治命十五世物部阿遅古連公、云々、蓋祭此連公、と云へるは例の推量なれば從ひがたし、信景が庚辰随筆に、尾張國知多郡に加家村あり、安治可麻は知加麻の事にや、云々、万葉集十四に、安治可麻乃可家能水奈刀爾伊流思保乃、これらにつきて猶考ふべしと云り、連胤按るに、伊勢国河曲郡阿自賀神社に由縁あらずや、遅ど自は假宇違なれど、此帳にかゝる例多し、されど阿自賀神社も、今其古實さだかならねぱ尋ぬるによしなし、
神位
國内神名帳云、從三位阿遅加天神、(一本作足近)

神社覈録



郷社 阿遅加神社

祭神 日本武命
合祭 稚武彦王
創建年代詳ならず、神劒を霊体とす、延喜式神名帳に、尾張葉栗郡(十座の内)阿遅加神社とある是なり、尾張国神名帳に、葉濃郡(十二座の内)從三位(一本作正四位下)足近天神、同集説に、従三位阿遅加天神(一作足近)云々と見え。尾張志に今は美濃國足近荘直道村八劔社とある是なり、或は曰く、宇麻志麻治命の後裔物部の阿遅古の連を祭りしにあらざるかと、蓋し物部氏は、成務天皇の御代臣賀夫良命を美濃国造に定め賜ひしより、共子孫十数世尾濃の二国に居住し、大に繁殖せしものなり、因つて美濃各郡の中、物部域は物部神社処々にあり、元来物部は武士の部にて、専ら武を掌るを以て、武神を齋きまつれる例多きなり、例之厚見郡岐阜伊奈波神社は、物郁の印葉連公の、曾て五十瓊敷入彦命の弓矢刀剣を好み玉ひしを崇め奉り、併せて物部十市根命をも祭れるが如し、是に由れば里傅阿遅加の祭神は八劒宮なりと云へば、則ち尾張国熱田に鎮座する日本武命の御外霊なり、又直道村は、尾張より美濃不破郡に通ずる道路なれば、蓋し昔時日本武命の、不破郡伊吹山の悪神を罰し給はんとて出ましし日、此地に憩ひ給ひしことあるを以て、物部阿遅古連公其跡を尊崇して、祠殿を建立せりと云ふ、一説に命伊吹山へ赴き給ふ時此地(旧名栄井今は坂井と改む此に霊泉湧出す)に憩ひ給ひし時、御饌を奉りしに聞し召されて、味食と宜ひしより、地名起ると云へり、既にして命伊勢国能褒野に至り薨じ給ふ、其子稚武彦王は深く之を悲悼し給ひ、父尊の憩ひ給ひし処に宮造りして、其蹟を遺したまふ、則ち現社地是なり、依つて旧称稚武宮と云ひしを、今は竹の宮と云ふ(現今尚竹の宮の地名存せり)是の故に稚武彦神も合祀するに至ると口碑に遺れり、新撰美濃志に云く「直道村は南宿の北にありて、西門間庄といふ、郡村記には足近庄とす、足近は十郷ありてここを本所とす、八劒宮ノ社は足近十郷の惣社といひ伝へ、自性寺つかさどる、而して神徳の顕著なるは、古来本社の宝物に雨石と称する一箇の霊石あり、旱魃の際此に祈願して水を注げば、必ず滂沱として雨を降す、曾て江州地方大に旱す、犬上郡最も甚し、村民総代数名をして当社に雨を祷らしむ、祈願七日、満願の日雨大に至る、然ども未曾有の大旱なるが故に、充分田圃を湿すに足らず、総代某密かに霊石を奪ひ去りて水中に沈む、黒雲忽ち四方に篠り生じ、強雨頻りに至りて憩まず里民大に怖れ、礼を厚して還納す、是に於て雨漸く露る、依つて祭棄料及び縮緬幟敦流を献じて神徳に報賽す、其他此くの如き例枚挙に遑あらず」と、明治6年1月郷社に列せらる、社殿は本殿、瑞垣、拝殿、鳥居、井戸屋形等を具備し、境内坪数523坪(官有地第一種)の外、基本財産として、境外に田一段余歩を有せり、又宝物は雨石一個、剣一口、木像二体、井一を有せり。

明治神社誌料



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