神社のすぐ南に池(御手洗池・放生ケ池)があるが、かつて木曽川の支流の名残であろう。 神功皇后が三韓を出征の後、毎州に放生池を置き、靹江と名づくという。 また、弘安4年(1281)、異国大挙襲来に際し、神江寺にて大般若経六百巻を奉読、生魚を放つ。 この故事により、この池は「放生池」と呼ばれたとも伝える。 東隣の神江寺はかって社僧であった。 境内の「いちょう」は一宮市指定天然記念物であり、二の鳥居から三の鳥居の「黒松参道」は一宮市指定史跡である。 |
参道黒松の並木 一宮市指定文化財 史跡 靹江神社の参道黒松の並木共 一宮市明地字靹24−5、25−3の参道部分 靹江神社 昭和52年1月17日指定 靹江神社は、平安時代に編纂された『日本三代実録』にも記載され、中島郡を代表する神社である。『尾張国内神名牒』には、「中嶋郡四十八座正一位」に「靹江名神」がある。 江戸時代後期に尾張藩士の小田切春江によって編纂された『尾張名所図会』に、参道と社の全景が紹介されている。 黒松の並木の参道は、現在は一部市道が横切って途切れているが、約七十本の黒松と共に往時の面影をとどめている。 一宮市教育委員会 社頭掲示板 |
靹江神社 靹江は止毛衣と訓べし○祭神群ならず○河内庄吉藤村に在す、(府志)今神江大明神と称す、 考証、集説共に、中庄祖父江村にありと云り、 神位 三代実録、貞観7年10月28日丙子、尾張國正六位上靹江神、授從五位下、 神社覈録 |
郷社 鞆江神社 祭神 仲哀天皇 応神天皇 神功皇后 武内宿禰 鞆江一に神江に作る、並にトモエと称す、創立年代詳ならずといへども、延喜式内社にして、三代實録に、貞観7年10月28日丙子、尾張国正六位上鞆江神授従五位下、と見え、奉唱国帳に「従一位鞆江名神、」参考に「從一位鞆江神社、名神、一本作正二位、式無名神之号、中庄祖父江村明神、」と見えたり、当社の式の鞆江なることは尚ほ張州府志其他尾張名所図会等に見え、近世の學者皆之れに従ひしが、之れが立証の一瑞として神祇志料云く、按社地を神江瀬子と云ひ、社前に神江川あり、神江と書てトモエと訓り、又一証とすべし、」といへり、古来吉藤、阿古井両村の産土神にして、明治5年5月郷社に列す。 社殿は本殿、拝殿、渡殿、祭文殿、社務所等を具備し、境内地1542坪(官有地第一種)あり。 明治神社誌料 |