塩江神社
しおえじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】塩江神社 尾張国 中島郡鎮座

   【現社名】塩江神社
   【住所】愛知県稲沢市中野宮町85
       北緯35度14分42秒,東経136度45分27秒
   【祭神】塩土神
       『明治村誌』猿田彦命

   【例祭】10月20日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】白鳳4年創建と伝

   【関係氏族】牧野氏
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「白髭明神」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿・祭文殿

   【境内社】沢園社・稲荷社・秋葉社

明治中学校北東に鎮座する。
かって、この地の西に塩江川があり社名の元となる。
祭神塩土大神を氏子は猿田彦命と伝える。
天武天皇の御代、白鳳4年天細女命の子孫牧野氏が猿田彦命を祀った。牧野氏はその後長く社家を務めた。
江戸時代は「白髭明神」と称したが、正月7日の祭を塩江神事と称して、旧社号の名を残していた。
末社に沢園社があり、祭神沢園兵衛を祀る。
毎年の洪水で難儀する農民を寛政2年代官沢園兵衛は三宅川の治水で救い、日光川にかけての新田開発に尽力した。
氏子は祖先とともに沢氏を仏壇に奉るといわれている。


塩江神社

塩江は志保衣と訓べし〇際神詳ならず○中庄中野村に在す、今白鬚明神と称す、(府志)
張州府志云、社伝祭猿田彦、配享春日神明二座、至今毎歳正月20日修祭祀、命曰塩江神事、是其遣意也、」集説云、中庄塩河村、称八幡社、按、旧事紀曰、天背男命、尾張國中島海部直祖、云々、塩與背男音便近、然久多塩江両社共背男命、而久多其岩隠歟、國府宮神主家、中世有塩川称號、又有故歟、と云るは例の信がたし、今府志の説に從ふ、
神位
國内神名帳云、從三位塩江天神、

神社覈録



郷社 塩江神社

祭神 塩土大神
旧と白鬚明神とも称す、創立年代詳ならすといへども、延喜式内社にして、奉唱國内神名帳に「從三位塩江天神、」と見えたり、尤も参考及集説は式の塩江、国帳、塩江は塩川村八幡社なりとすれども、張州府志当社を以て式の塩江社として云く、「社傅祭猿田彦、配享春日神明二座、至今毎歳正月20日修祭祀、今曰塩江神事、是其遺意也、」といひしが、尾張志、尾張名所図会及近世の學者皆之れに左袒して毫も疑はず、殊に特選神名牒の如きは、更に有力なる証左を提供して之れが立証の用とせり、云く、
「塩江神社云々、今按、この神社同郡中之庄塩川村八幡宮なりとも、又海東郡門間庄勝幡村なる白山宮とも云説あれど、塩川なるは狗行記に、里老伝云、水野左衝門尉将出軍、祷土田八幡宮得勝利、凱旋之時、勧請八幡、故至今土田祠官廣頼氏掌之、とありて、後に設けし社なり、勝幡村なるは塩江天神と記せる棟札あれど覚束なきものなるが上に、他証なければ拠がたし、唯中野村なるは、毎年正月七日の祭を塩江神事と称し、また延宝6年宝暦7年13年享保8年の棟札に塩江社とあるもの、証拠正しければ之に從へり、」
明治5年5月郷社に列せらる。
社殿は本殿、拝殿、祭文殿等を具備し境内地792坪(官有地第一種)あり。

明治神社誌料



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