当社を千野神社に比定する説もある。 境内に[奥村伊予守永福出生之地碑][梶川高盛公宅の址碑]がある。 加賀前田家の重臣であった奥村永福が生まれた場所とされている。 梶川高盛は織田信長に従い、足利義昭が籠もる槙島城攻めに加わる。その際、宇治川で先陣を果たし、信長から馬を下賜されたという。 |
織部型燈籠 一宮市指定文化財 工芸 織部型燈籠 一基 貴船神明社蔵 昭和54年2月8日指定 これは、昭和23年に有松町の服部幸平邸より、書院、庭石とともに移されたものである。同社境内の茶庭に建ち趣きをそえていた。花崗岩製で、石の表而は風化のためかなり荒れているが、各部よく整った完成品である。 竿は埋込み式で基郡の左右が各5cm張り出す。上半に円形を造り出し、その面に持殊な記号■を刻す。下半にはくぼみを彫り、地蔵風な像容を浮彫りする、いわゆる織部型燈籠の典型的遺品である。 円形部は低平で、記号は通常とは逆の中台の隅に加工されている。火袋内部の構造、笠の刻線紋、宝珠の形式など、織部型としで形式化、画一化される以前の破格が顕著であり、織部型が茶人の数寄と作意に基づく寄せ集め燈籠から発する、その間の事情をよく表わすものと言えよう。 形式が定まり、普遍化する以前の古様を思わせるものである。 また、像容・記号の彫りや石肌の風化具合等から、制作年代は桃山時代中期まで遡りうる。 総高123cm。 一宮市教育委員会 社頭掲示板 |