石作神社
いしつくりじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】石作神社 尾張国 中島郡鎮座

   【現社名】石作神社
   【住所】愛知県あま市石作郷 61
       北緯35度12分25秒,東経136度48分57秒
   【祭神】建真利根命
       『本国神名帳集説』建真利根命
       『特選神名牒』建椀根命

   【例祭】10月7日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創立年代不詳

   【関係氏族】石作連
   【鎮座地】当地より北、郷裏と呼ばれる位置に鎮座という
        移転の時期不詳

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「天神社」と称していた
   【社殿】本殿流造
       祭文殿・拝殿

   【境内社】

石作の集落の北端に鎭座する。集落のすぐ東側を福田川が南流している。
かっては、当地より北、郷裏と呼ばれる位置に鎮座していたという。
尾張連族石作連の祖建真利根命を祀るとされている。
垂仁天皇皇后日葉酢媛が亡くなったときに石棺を献じ、「石作連」の姓を賜ったと伝承する石作部の一族が当地方に住み、石棺の製作にたずさわったと思われる。


由緒

当神社は延喜式神明帳延喜5年(905)尾張國中島の条、また國内神明帳に正四位上石作天神と所載されている由緒正しい古社である。
祭神は詳らかでないが(姓氏録)に石作連火明命六世孫建真利根命で石工に関わる遠つ祖神であると伝えている。尓来この氏神を祀る石作郷に居住し生活を営む人々と広く崇敬者らが連綿と幾世代に渉り当代に至るまで神の御恵みに奉賛の祭事を捧げて来た神社である。
ゆく先も、ここの産土の大神と縁を結び地域社会の心の拠り所として生かされる喜びと御加護を只管に祈りつづける吾が鎮守の神で在らせる。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




石作神社


 当神社は延喜式神名帳(延長5年撰進927)尾張国中島郡の条、また国内神名帳に石作天神と所載されている由緒正しい古社である。
 ご祭神に詳らかでないが(姓氏録)に石作連火明命六世の孫建眞利根命で、石工に関する遠つ祖神であると伝えている。
 爾来、この氏神を祀り石作郷に居住し生活を営む人々が、連綿と幾世代に渉り敬神崇祖の心を披瀝し、神恩に報謝の誠を捧げる祭の庭である。
 ゆく先、産土神と縁を結び日々地域社会に共生する喜びを祭事を以って具現し、神のご加護を只管に祈りつづける吾が鎮守の神で在らせられる。
延喜式内 石作神社

社頭石碑



石作神社

石作は以之豆久利ど訓べし、和名鈔、(郷名部)石作、(假字上の如し)○祭神石作連祖歟○在所詳ならず
考証、集説共に、常郡今無石作村、河北庄在串作村是歟、但海東郡松葉庄石作村天神、疑此祠乎と云り、張州府志に、松葉庄石作村は載すれど、此村に天神社は見えず、又串作村は、和名鈔中島郡石作是也、と云り猶尋ぬべし、
類社
山城国乙訓郡石作神社の條見合すべし
神位
國内神名帳云、從三位石作天神、

神社覈録



郷社 石作神社

祭神 不詳
創立年代詳ならすといへども、延喜式内社神名帳に「石作神社」と見え、奉唱国名神名帳に、「従三位石作天神、」参考に「一本作正四位上」と見えたり、此地元と中島郡に属せしを以て、皆中島郡とせり、参考云く、「当郡中島郡今無石作村、河北庄有串作材、蓋是歟、按海東郡松葉庄石作村天神社疑是也、」
桧葉庄の海東部たりしは、熱田宝物鷹の絵の奉納書に「大永5年乙酉7月吉日云々、尾州海東郡松葉荘安井彦三郎吉久」と記せるにて明らかなり、明治5年郷社に列せらる。
社殿は本殿、祭文殿、拝殿を具備し、境内地245坪、内50坪は官有地第一種、他は民有地第二種なり、因みに当社祭神につき、神祇志料は「尾張氏の同族石作連の祖建真利根命を祭る」と見えたり、石作連は姓氏録に云く、石作連、火朋命六世孫建真利根命之後也云々、是尾張氏同祖神也」と。

明治神社誌料



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