名鉄線の線路の西近くに鎮座する。 この地は天背男命を祖とする一族が居住したと伝えられる。中島直(本家)、海部直(分家)の尾張族と言われる。 中島直の子孫は久田氏と称し大国霊神社の神官を務めた。 「久多神社の祭神は国府宮々司久田氏野々部氏の祖で、この所に天降して岩室に住し、尾張の国土開発に尽した神である」『稲沢の神社』 暦応2年(1339)一族の争いが生じ久多神社は廃絶したという。 天保13年(1842)同族の野々部茂富(大国霊神社の神官)が現地に復旧。 現在の久多神社付近には、かつて東畑廃寺があつたとされる。 久多神社は暦応2年後のいつ頃かに廃絶の憂き目を見るに至った。国府宮の神主職を継いだのは久田氏の同族である野々部氏で、廃絶後、自宅で天背男命を祀っていたという。そして、天保13年(1842年)に当社を建て、自宅から当地に遷座したという。 |
東畑廃寺跡 尾張地方最古の寺院の一つで白鳳時代(今から千三百余年前)に創建された。 東に塔が西に金堂が並列する法起寺式伽藍配置で尾張国府に付属する寺院と推定される 稲沢市教育委員会 社頭掲示板 |
久多神社 久多は假字也○祭神詳ならず○国衙庄稲嶋村土畠に在す、今廃亡す、村西有天背男命岩窟之墟、(今俗云稲荷社)蓋此処古社地歟、(集説) 集説云、大國霊社神主職中世有久田称號、所謂若久田彌四郎清嗣及信清宰相房崇政等、見建武4年2月、暦応3年10月等本州目代文書申文、 神社覈録 |