貴船神社
きふねじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】川曲神社 尾張国 中島郡鎮座

   【現社名】貴船神社
   【住所】岐阜県羽島市正木町森字村中338番地の1
       北緯35度20分14秒,東経136度44分7秒
   【祭神】水波能賣神
   【例祭】10月10日 例大祭
   【社格】
   【由緒】寛保2年9月(1742)造営
       寛永19(1642)年には「貴船五社大明神」と称
       明治6年1月郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】古くは中島郡曲利村に鎮座
        その後現在の地に

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

当社は古くは中島郡曲利村(森村の南方一里にあり)に鎮座していた。
中島郡(式内)従三位川曲神社に比定している。


貴船神社

勧請年紀不詳。里伝曰く、当社は古くは中島郡曲利村(森村の南方一里にあり)に鎮座ありしを神託に依り森村なる森村地へ瀬座すと云ふ(森村の称は繁茂せる森林ありしに起因せりと云ふ)故に曲利はもと当村氏子にて、今日(明治12年)距たる五十有余年前の頃までは例祭の節該村より大なる獅子頭を持出して祭式行雅の第一に進む(此の獅子頭は甚だ古物なり)今は森村にあり。森村其氏子の村には其の雅の後に従ふ。今此式なしと云ふ。曲利村より寛保2年神鏡を納む。今内殿にある是なり。其の銘に曰く、奉納円鏡一面濃州葉栗郡森村正一位貴船大明神加賀白河作寛保2年9月同州中島郡曲利村花村安左ェ門義定の延宝5年の棟札に記せし村々は曲利村、森村、大浦坂丸村、不破一色村なり。(此の村の内森村、不破一色村、坂丸村は葉栗郡にて、大浦村、曲利村の二村は中島郡なり)又中島郡曲利村にも貴船社二社あり。本社の旧地なる故後に勧請せしよりなり。又坂丸、不破一色村にも貴船神社あり之れも本社の分社したるよし。尾張國神名帳集説考訂曰く、中島郡(式内)従三位川曲神社(一本作川勾)正生考天正以来美濃國に入たる森村貴船明神是なり。山伏来宝院掌之の社号を加波万裁里とよみ奉るべし。集説本に川隈と訓て神戸村神明と云ふ。張州府志には河和と読んで国府論に付会たるも皆誤りなり里老はいま曲利弥曲北大浦森、坂丸、不破一色六ヶ村の惣氏神ならざれば、氏子の村々に産土神としてはなし。近年水難多きに付て、村々にも貴船の小社を設けたるあれど、皆森村より遣はしたる御祓なりと云へり。正生考川勾の地は本国中島郡にあり後世鎌倉以来右の如く六ヶ村に分かれ天正に及びて美濃國に入る然るに曲利(公義領)弥曲北大浦(並尾張)の三村は中島郡にあれども森、坂丸(並中川半左ェ門領公義領入会)不破一色(公義領)の三は隣郡の葉栗郡に乱れ入たり。偖又弥曲は元来曲利の支なりしを今は西隣なる狐穴の支村に属して支字さへも失態書き、又云々。神名帳考証に曰く、尾張國中島郡川曲神社河泊と云へる即貴船神に暗合せり)右述る如き縁由あれば津田正生及里老の伝聞の如く、尾張國中島郡式内川曲神社なること疑なし。故に明治6年1月森、大浦、坂丸、不破一色、曲利、五ヶ村の郷社となる。

岐阜県神社庁



羽島市指定有形文化財

貴船神社の御神像
羽島市正木町森10丁目63番地
この貴船神社ば明治6年(1873)一月に当時の羽栗郡十三か村の郷社となり水神である弥都能売神を祭神とした。
創立年代は不明であるが、寛永19年(1642)に大浦・坂丸・一色・曲利の四か村が勧請し、貴船五社大明神と称したと伝える。
特殊神事としてばかゆつけ祭(3月17日)」が現在も継承されている。
御神像として祀る六躯の木像は、何れも小像で、如意輪観音像の他は、損傷もはげしいが、鎌倉時代の作と推定できる貴重なものである。
平成元年3月再建
羽島市教育委員会

社頭掲示板




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