島氏永駅東に鎮座する。 江戸時代には「十三権現社」と呼ばれたが、これは神階従三位を訛ったものとされる。 明治初年石垣造築迄境内に磐境があつた。 氏子は社務所を「伊勢屋」と呼ぶ。江戸末期まで伊勢神宮の”御師”が1月から3月まで逗留していたという。 毎年旧暦正月11日に御歩射神事がある。この神事は湯の花神事、的射神事、強飯神事からなる。 湯の花神事 大釜(鼎)で湯を沸かし、神前に供える。この湯を氏子は家庭に持ち帰り無病息災を祈り飲む。 的射(おまと)神事 的の表には鬼の3字、裏には「三つ巴」が書かれる。 神主は山、谷、星と叫び、桑の木の矢を放つ。 強飯神事 お供えした強飯を氏子全員に配る。 古式は、厄男がお供えした強飯の大櫃を担ぎ出し参拝者が競って掴み取りする神事であった。 |
川曲神社 川曲は加波和と訓べし○祭神詳ならず○子生和村に在す、今十三権現と称す、(府志) 続日本紀、神護景雲3年7月甲辰、尾張國海部中嶋二郡大水、云々、同年9月、壬申、尾張國言、此國與美濃國堺、有鵜沼川、今年大水、其流没道、毎日侵損葉栗、中島、海部、三郡百姓田宅、又国府并國分二寺、倶居下流云々、連胤云、此文に依て考ふれば、旧鵜沼川の交にます故に川曲神と称するならん、 類社 相模國余綾郡川勾神社 神位 國内神名帳云、從三位川曲天神(一本作川勾) 神社覈録 |