当社を大口神社に比定する説もある。 |
内荒神社 津田正生の『尾張國地名考』は、法立村内荒神社説を主張して、次のやうに記してゐる。、 聚落より東二町余の畑中に、榎木五七樹ある叢の地あり。社頭もなきに村民古へよりナイコウジンと呼て憧敬ひ、神酒を捧げ松火を焚て、諸願をかくる地也。予始にナイコウジンとは、内荒神にやと按て度々歩をはこびしが、三度目に詣て神地に額つくと、忽ち大口の神なるぞと誰かよべる心持す。振かへり見れども辺に人なし。則ち神慮ならんと三拝し、謹て考れば、大口を後世字音に駄以姑宇と呼。又ナイコウ神と転るにぞ有ける。 式内社調査報告 |