しまうじなが駅西。県道65号の西に接して鎮座する。 多氏の一族がこの地に移ってきて、その祖神を祭ったとされている。 比定や所在地に異論はない。 写本によってその社名は「太神神社」「大神神社」とも記されるが、その場合の「神」の1字は衍字とされる。 |
大神社 延喜式神名帳に大神社名神大とあり、そこで尾張の国の式内121座ありその内名神大社は8座あり、一座は大神社。 真清田神社(尾張の国一の宮)、大縣神社(尾張の国ニの宮)、大神神社(尾張の国一の宮)、(花池)、熱田神社、日割御子神社、孫若御子神社、高蔵結御子神社であり、前期八社が官幣社(神祗官の祭る社、即ち官幣社)国幣社(国司が祭る社、即ち国幣社)があり、113座あり由緒ある神社である。 祭神は神武天皇の第二皇子にして神武天皇の崩御後、兄 手研耳命が神八井百命を害せんと図りしかば第二代綏靖天皇その陰謀を知食し、神八井耳命と共に謀り、これを平定(国内安定)神八井耳命曰く、『兄なれども君上とあるべからず汝よろしく皇位につき天下を知食すべし』、国内平定の神であることが伺える。 天慶元年2月正五位より全国的神々に対して九度の昇神あり。 大神社は最後の年、永徳元年2月に従一位になり給ふ。 系統=神武天皇の皇子=綏靖天皇の同母兄 母は媛踏踏鞴五十鈴媛皇后 由緒書 |
太神社 名神大 太は於保と訓べし○祭神 多臣祖歟〇丹羽庄於保村に在す、今天王と称す、(集説、府志)〇式三、(臨時祭)名神祭二百八十五座、尾張國太神社一座、(太或作多) 類社 大和國十市郡多坐彌志理都比古神社の條見合すべし 神位、名神 文徳実録、仁寿3年6月庚午、以尾張國多天神預於名神、同年7月辛丑、加尾張國多天神從五位上、三代実録、元慶元年閏2月26日戊戌、授尾張國正五位下多弖神正五位上、國内神名帳云、從一位於保明神、 神社覈録 |