野見神社
のみじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】野見神社 尾張国 中島郡鎮座
          (比定社)淺井神社 の比定社とする説もある

   【現社名】野見神社
   【住所】愛知県一宮市今伊勢町宮後稲荷 1929
       北緯35度18分57秒,東経136度46分58秒
   【祭神】天照大御神 天穗日命 野見宿根命
       (合祀)宇迦之御魂命 須佐之男命 大日霊貴神
       『本国神名帳集説』『特選神名牒』天穂日命
       『神名帳考証』『神社覈録』野見宿根

       式内社としての本来の祭神は、未詳とすべきであろう

   【例祭】4月16日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       応永6年(1399)野見社の名あり

   【関係氏族】土師氏
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「野見神明神」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

公園の中に鎮座する。
尾張氏によってこの地が開かれたとき、土師氏の一族が移住し、その祖神野見宿禰を奉祀したと思われる。
境内に古墳あり。
社名は祭神より起こったものであろう。


野見神社古墳

野見神社古墳
5世紀前半に造られた今伊勢古墳群の一つである。
拝殿西南の竹藪中にあり、直径20m高さ1mの墳丘がそれである。
周囲には周濠跡らしき低地がある。
出土品に勾玉、石製模造品の刀子、埴輪等がある。

社頭掲示板



スダジイ

一宮市指定文化財。ブナ科。常緑の高木。樹齢およそ300年。
 この種の樹木としては、まれにみる大木であり、樹勢はすこぶる旺盛である。樹皮は縦に裂け目がある。葉は二列生であり、互生する。広楕円形で先端は尾状に尖る。葉の長さは5〜15cm。革質で裏面に淡褐色の鱗屑があり、全縁に近いが上部に鋸歯がある。
 6月に開花し、翌年秋に果実を生ずる。果実は他のドングリと違って、あく抜きせずに食べることができる。スダジイに似たものに、果実が小さくて丸いツブラジイがある。両者の葉の違いは、スダジイの葉の表皮組織が二層であるのに対し、ツブラジイは一層でできている点である。スダジイの実は、ツブラジイの実に対して長くて大きいので、果実があれば区別は容易である。果実がないとき、樹皮の裂け目の有無で判断することもあるが、何れか迷うことが多い。それより安定した性質の表皮層の数を顕鏡して調べたほうがよい。

社頭掲示板



野見神社

由緒沿革
祭神野見宿禰は出雲国造氏と同族で、天穂日命の14世の孫で、飯石郡野見の地に誕生し給う、故に名とした。斯て垂仁天皇7年勅命によって都に人を苦しめる悪虐非道な當麻の蹶速を一蹴をもって之を倒した。又土師部を率いて土偶を作り殉死を禁ずる等偉大な功績があった。後世相撲、土器の祖神として仰がるる所以である。當神社の創立は垂仁天皇22年(2006年前)で、延喜式神名帳(1075年前)に日ふ加茂7座の内の第1野見神社、国内神名帳に日ふ正五位下野見天神であって、当時の社格国幣小社に列せられて祈年祭の幣帛に預り給い、西三河著名の古社である。後世渡辺藩の武運長久領内安全の祈願所であった、明治41年10月愛知県は神饌幣帛料共進神社に指定し、大正5年10月名勝旧跡として標柱を建て、昭和17年10月内務省は郷社に昇格した。終戦後宗教法人となり愛知県神社庁9級社となり、昭和52年10月本殿以下の建物を改築した。

社頭石碑



野見神社

野見は假字也〇祭神野見宿禰命(考証)○国衙庄浅井村有呼野見地、蓋社絶而存其旧號者歟、(集説、頭書云、宮後村俗有號野見神明小社也、償景説誤□歟)○日本紀綏靖天皇巻云、神八井耳命、是即多臣之始祖也、」古事記、(神武段)神八井耳命者、意富臣、尾張丹羽臣、嶋田臣等之祖也、」姓氏録、(河内国皇別)尾張部、彦八井耳命之後也、(考証云、彦八井耳命男野見宿禰、)同、(和泉国神別)土師宿禰、秋篠朝臣同祖、天穂日命十四世孫野見宿禰之後也、
類社
構津國島上郡野身神社の條見合すべし
神位
國内神名帳云、從三位野見天神、

神社覈録



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