大神神社
おおみわじんしゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大神神社(名神大) 尾張国 中島郡鎮座

   【現社名】大神神社
   【住所】愛知県一宮市花池2−15−28
       北緯35度17分29秒,東経136度47分35秒
   【祭神】大物主神
       『本国神名帳集説』『尾張名所図絵後編』大美和都根命

   【例祭】10月10日 例祭
   【社格】旧郷社 尾張国一宮
   【由緒】大和大神神社の分祀神社とする
       桃山時代浅井田宮丸の乱以降荒廃

   【関係氏族】尾張氏
   【鎮座地】旧社地は北西隣地の古宮公園の位置にあった
        浅井田宮丸の乱以降荒廃。神宮寺内へ
        明治3年現在地に再建

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「三明神」と称していた
   【公式HP】 大神神社
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】白山社・三島社・招魂社・素盞嗚社・神明社・六所社

大物主神を奉斎する大和の大神氏(三輪氏)一族が来住し祭祀を担ったと見る説と、大美和都禰命を奉斎する尾張氏関係氏族が祭祀を担ったと見る説がある。
大和大神神社の分祀神社とする。
薬師寺の西隣りに鎮座する。薬師寺は排仏毀釈前に神宮寺であった。
旧社地は北西隣地の古宮公園の位置にあった。
桃山時代浅井田宮丸の乱以降荒廃。神宮寺内へ。明治3年現在地に再建。
熱田社の荘園であった名残からか毎年、旧暦7月7日に宮地村から素麺、花池村から蓮を熱田社に奉納した。
境内に樹木多い。叢林目立つ。神木の楠あり。


大神神社

ここ尾張地方は、木曽三川の河口部に開けた、広大な沖積平野。
川が入り乱れて、網の目のような低湿地。葦の生え茂った、大きな梁から転じて大梁・尾治・尾張となったとも言われている。人が住み着き集落ができて、弥生時代から古墳時代にかけて、邪馬台国から大和の国の頃、次第に東に「開拓」が進み、ここ「花池」にも大和系(三輪族)の人々が大物主神を祀る「大神神社」を建て、祖先を祀り日々の安泰を祈り、団結のシンボルとして神社を中心にして部族を発展させた。
 一方、天武系の人々は、真墨田神社(後の真清田神社)を相殿という形で建てて「天火明命」を祀った。
 また、奈良時代に国司が赴任してきて、国中の神社を代表として国府宮の「尾張大国霊神社」を尾張の「総社」に指定、次いで花池の「大神神社」と「真清田神社」をまとめての「相殿・対の宮」と言うことで「尾張一の宮」に指定した。
 嘉祥3年(850)「文徳実録」「尾張国帳」には、従一位大名神とあり、三宮明神・三明神(神宝として珠・鏡・矢と三種の御証印があった)と称せられ、延長5年(927)延喜式神名帳には式内社とあり、勅祭神社であったことが判る。
尾張の国中には、大名神8座・小113座あって、当時の大名神八座の中の一座である。
 昔の花池村は「三輪氏」一族の地方だった故か・三輪郡・大神郷・熱田の庄蓮池と言われ、各所に白蓮が咲いていたとかで「蓮池」そして「華池」「花池」となり今日に及ぶと、伝えられている。

由緒書



大神神社

祭神 大物主神
崇神天皇の時代、疫病が流行したときに天皇が祀った神々の一柱。大和国の一の宮大神神社の祭神で、三輪の神と呼ばれ、大国主神(大黒様)の別名がある。
大和の大神神社とおなじく、大和系の人々が三輪の神を祀ったことにはじまるといわれる。
鎮座地の花池は水が美しく蓮田が多く、毎年熱田神宮に奉納する蓮が咲く沼であった。
奈良時代に国司が赴任して、国中の神社を代表として国府宮の尾張大国霊神社を尾張の総社に指定、次いで花池の大神神社と真清田神社をまとめての『相殿・対の宮』と言うことで『尾張の一之宮』に指定した。
文徳実録・尾張国帳には従一位大明神とあり、三宮明神・三明神へ神宝として珠・鏡・矢と三種の御証印があったと称せられ、延長5年延喜式神名帳には式内社とあり、勅祭神社であったことが判る。
尾治の国中には、大明神8座、小123座あって、当時の大明神8座の内の一座である

社頭掲示板



大神神社略歴

鎮座地 愛知県一宮市花池二丁目十五番ノ二
社 格 延喜式内社 旧郷社
祭 神 大物主神  ( おおものぬしのかみ ) (別名 大国主神 (おおくにぬしのかみ))
由 来 大和の大神神社と同じく、大和系(三輪族)の人々が三輪の神を祀った事に始まるといわれています。鎮座地の花池は水が美しく蓮田が多く各所に白蓮が咲き熱田の庄蓮池といわれ、毎年熱田神宮に奉納する蓮が咲く沼でありました。
奈良時代に国司が赴任して国中の神社を代表として国府宮の”尾張大国霊神社”を尾張の総社に指定、次いで花池の”大神神社”と”真清田神社”をまとめての「相殿(あいどの)・対の宮」と言うことで「尾張の一の宮」に指定しました。「文徳実録」「尾張国帳」には従一位大明神とあり三宮明神、三明神( 神宝として珠・鏡・矢と三種の御証印がありました )と称せられて延長5年延喜式神明帳には式内社とあり、勅祭神社でありましたことが判ります。
尾張の国中には、大名神8座・小123座ありまして、当時の大名神八座の内の一座であります。
例祭日 10月10日
御神穂 国内平定・五穀豊穣・安産・縁結び・病気平癒等の守護神
宝 物 木造狛犬 ( 江戸後期(文化12年)作、阿(あ)形(40cm) ・ 吽(うん)形(45cm) 檜材寄木造 ) ( 一宮市文化財指定 ) 神宝刀剱三振   
( 両方とも一宮市博物館に保管、現在非公開 ) 

公式HP



木造狛犬

一宮市指定文化財
彫刻 木造狛犬 一対
大神神社蔵
昭和57年3月1日指定
阿形はやや口を開け、首をふる。吽形は固く口を引き締め、頭上に一角を持つ、共にたて髪、巻き毛を分厚く肉彫りし、耳は垂れているが、目は大きく見開き、胸を張り、前脚を踏張っているのは力強さと量感に満ちている。洗練された技術とは言い難いが、むしろ稚拙な彫り方が、素朴で手造り的味わいがあり、見る者に好感を与える。
彩色は当初より施されていなかったようで、木目の跡が美しい。台座と本体は一本であるが、尾の部分と胴の部分を継ぎあわせている。かなりの重量で、内刻りはなく、檜の寄せ木造りである。
阿形台座側面に「尾張中島郡 宮地花池村惣氏子中」、吽形台座側面に「文化十二乙亥年如月堂毛受良三彫之」とあり、文化12年毛受良三によって制作され、宮地花池村の氏子によって奉納されたことがわかる。
阿形高さ40cm、吽形高さ45cm
一宮市教育委員会

社頭掲示板



大神神社 名神大

大神は於保美和と訓べし、和名鈔、(郷名部)美和、○祭神大物主神○熱田庄宮地花池村に在す、今三明神と称す、(考証、集説、府志)
集説云、式録名神大、度會延昌云、式撰之日未名神、蓋衍字歟、名神祭式不載之、後來進名神、故追加名神字者乎、按、大和国大神大物主神社同神也、(当社一旦□廃、而以御正体蔵眞澄田宮故也)、私曰、以熱田社或称三宮、当村熱田庄也、且土俗至于今、以鷺呼白鳥、而不食之、又古初秋七日自此村献索麺及蓮葉数茎於熱田宮、以此見之、則当村熱田神領歟、今按、火明命十世孫大美和都禰命歟、尾張氏同祖神也、と云り未熟れか志らず、されど大神と號する社、多く大物主神たり、故志ばらく延昌が説に從ふ、
類社
大和國城上郡大神大物主神社の條見合すべし
神社
國内神名帳云、從一位大神明神、

神社覈録



郷社 大神神社

祭神 大物主神
旧と三宮明神とも三明神とも称す、創立年代詳ならず、但延喜の制名神大社に列せられ、奉唱国内神名帳に「従一位大神名神」と見え、参考に「一本作正二位、熱田庄宮地花池村、号三明神社是也云々」、集説に「從一位大神大名神、云々、式録名神大、度曾廷昌曰、式撰之日未名神、蓋衍字歟、名神祭式不載之、後来進名神、故追加名神字者乎、云々、私曰、以熱田社或称三宮、当村熱田庄也、且、土俗至于今、以鷺呼白鳥而不食之、古初秋七日、自此村献索麺及連花数茎於熱田宮、以此見之、則当時当村熱田神領歟」と見えたり、本村より諸品を熱田宮に奉ること及土俗白鳥を食ふ事を禁むことは張州府志にも見えたり、明治5年5月郷社に列す、
社殿は本殿、渡殿、祭文殿、拝殿、神饌所等を具備し、境内地1252坪、内1045坪は官有地第一種にして、他は官有地第二種なり。

明治神社誌料



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