社名は地名によると思われる。地名の佐千原(さちはら)は、坂手から佐手原、佐千原と変化した地名という。 元伊勢の尾張国中嶋宮と伝えられている(中嶋宮は酒見神社の説もある)。 神社の東方を大江川が流れ、神社の南方を日光川が流れる。 垂神天皇14年倭姫命伊勢へ遷幸のとき、この地の字北郷に「大御神」を、当地に坂手大神を祀ると伝う。 明治までは毎年伊勢神宮より幣錦を賜るという。 当社を千野神社に比定する説もある。 |
史蹟 坂手大神御神石 悠久の彼方、千七百年もの昔、第十一代垂仁天皇の御世勅命により皇女倭姫命が御神鏡を奉じて天照大神を大和笠縫邑から安寧の場所を求めて巡行されたと言われています。 伊賀、近江、美濃伊久良河宮、そして尾張国に入られ佐手原の葦原池をよぎり給う時、字北郷に大御神の仮宮を御造営になり、又宮東に坂手大神の祠を建て奉斎されたと伝承されています。そして、現在は坂手大神の御神石が御座として祀られています。これは、江戸時代享保2年(1717年)に建立された磐座です。昔から坂手神社は伊勢神宮の御厨があり神領で有りますので、古老曰く村民えの御神徳非常に厚く参拝は絶えません。 「倭姫命世紀]参照 氏子中 社頭掲示板 |
坂手神社 坂手は佐加天と訓べし〇祭神詳ならず○中庄坂田村に在す、今天神と称す、(府志) 張州府志に、集説誤以爲在葉栗郡手原村と云り、 類社 伊勢國度會郡坂手國生神社 神位 國内神名帳云、從三位坂手原天神、 神社覈録 |
郷社 坂手神社 祭神 高水上神 創立年代詳ならず、但古老相傳ふ。垂仁天皇の御代、倭姫命、神鏡を奉して美濃国伊久良宮より当國に到らせ給ひ、此地字北郷と称する処に大神を奉齋し、同時に字宮東に坂手神を鎮祭せさせ給へりと、尾張志に「本国帳集説の一本に坂手原とあるに依て葉栗郡今寄庄佐千原村なるよしいへり、府志并に参考本国帳に坂田村なるよしいへるは如何なり、」と見ゆ、されど本社は神名式所載の中島郡坂手神社に相当し、本国帳に所謂従三位叛手原天神(其一本に正四位上叛手原天神と見えたり)、なるべし、又特選神名牒も所在佐手原村(今属葉栗郡)」とし、神祇志料亦此説に従へり、一に八劒明神と云ふ、明治5年5月郷社に列せらる。 社殿は本殿、拝殿、神饌所等を具備し、境内地3040坪(官有地第一種)あり、因みに当社明細帳に、「大神宮の社は、何時か荒廃して其旧跡塚と成て現存す、故に維新前迄伊勢大神宮神官、年々該所に来て、幣帛を捧ぐるの例あり、」と見えたり。参考の為め書添ふ。 明治神社誌料 |