庄内川西、万場大橋の西南に鎮座。 現在は、国玉神社・八剣(やつるぎ)社合殿と称している。 江戸時代には座地不詳とされていた。 元治元年(1865)5月、八劔社と呼ばれていた本社が、尾張藩の指示によつて式内国玉神社に比定された。 |
国玉神社・八剣社相殿 創建は古く「尾張志」によれば、尾張大国霊神社より勧請したという。「延喜式神名帳に」国玉神社、「本国神名帳」に従2位国玉明神と記載されている式内社である。 明治元年(1868)八剣社を合祀。同年明治天皇が東幸の際、勅使より奉弊を受ける。同5年近隣8か村の郷社に、同40年より神饌幣帛料の供進指定社となる。なお、拝殿等の屋根は昭和58年改修。 祭神 大物主大神、天照大御神、草薙剣御霊、日本武尊。 大祭は春5月5日、秋10月7日。 当社前の道は佐屋街道(東海道の脇往還)で、南西曲がり角は万場宿の高札場となっていた。 名古屋市教育委員会 社頭掲示板 |
国玉神社 八剣社合殿 名古屋市中川区富田町万場郷中内。旧郷社。大物主神・日本武尊・天照皇大神・草薙御剣神霊を祀る。国玉神社は、延喜の制小社に列し祈年の国幣に預かり、現在八剣社と同殿に奉祀されている。例祭5月8日。 神社辞典 |
國玉神社 國玉は久爾陀麻と訓べし○祭神大國霊命、(考証)○在所詳ならず 集説に、與中島郡國霊社不同歟、以伊勢國度會郡大國玉社之例謂之、則此社益海部直祖神乎、と云るはいかやあらん、 類社 和泉國日根郡國玉神社の條見合すべし 神位 國内神名帳云、從二位國玉名神、 神社覈録 |
郷社 國玉神社 八劒社 合殿 祭神 大物主神 草薙御劒神霊 日本武尊 天照大御神 創立年代詳ならずといへども、延喜式内社にして、奉唱國内神名帳に「從二位大国玉名神」と見え、参考に「天神、一本作正一位大國玉名神、式無名神之号」と見えたり、往昔は頗る大社なりしが、兵乱の為め衰徴して、明応年中より現状をなすに至れりと、式の国玉神社は久しく不詳の二字を以て葬られつゝありしが、元治元年5月、当社を以て式の國玉神社と定めらる、明治元年10月八劒神社を合祀せるが、同年御東幸の際勅使植松少將奉幣あり、5年5月八ヶ村の郷社に列せらる。 社殿は本殿、拝殿を具へ、境内地556坪(官有地第一種)あり 明治神社誌料 |