当社は弥富市指定文化財である柴ヶ森にある。柴ヶ森は、平治元年(1159年)12月「平治の乱」で平家に敗れた源義朝らが、青墓の宿(現大垣市)まで逃れてきたが、平家の追及が厳しいため、舟に積んだ柴の下に隠れて、知多の野間へ落ちていくことにした。途中、平家の検問を逃れ、松田(現立田村)で粥をごちそうになり、この地、二之江まできて、もう大丈夫だろうと舟荷の柴を川岸に上げた。このことから「二之江村」が「 荷之上村」と改められた。 当社を漆部神社に比定する説がある。 |
柴ヶ森 弥富市指定文化財 史跡柴ヶ森 平治元年(1159)12月の「平治の乱」で平家に敗れた源義朝らは、青墓の宿(現大垣市)まで逃れてきたが、平家の追及が厳しいため、舟に積んだ柴の下にかくれて、知多の野間へ落ちていくことにした。 途中、平家の検問を逃れ、松田(現立田村)で粥をごちそうになり、この地、二之江まできて、もう大丈夫だろうと舟荷の柴を川岸に上げた。 このことから「二之江村」が「荷之上村」と改められた。 また、川辺の柴は、芽を出し年々大きな森となった。これが「柴ヶ森」である。 記念碑の題字「柴ヶ森」は、佐屋町出身の元内閣総理大臣加藤高明の書である。 昭和51年12月10日指定 弥富市教育委員会 社頭掲示板 |