境内中央に拝殿。その後方には、同サイズ・同形式の二棟の社殿。 右が本社・大処神社で、左は境内社・酒波神社。 |
大処神社 創立年月日 天智天皇九年 本社は元國主大明神と称し、大地主命即ち大國主神の荒魂を祀る。天智天皇9年の創祀にかかり、社傳延喜の制國幣小社に列せり。この地は往古の高島郡十郷の一たる大処郷と傳へらる。本社はその惣社たりしこと明かにして、今も森西、澤、辻、石庭の氏神たり。古へ大地主命の本社は地及近傍にて営田ありし時、白猪、白難、白馬を以て御歳神を祀られし故事に因り、祈年祭には献猪の式あり。猪なき時は調布八反を以て之に代へたり。其の後遂に絶えたりと雖も、今もなを社地近傍に御供田たりし猪田、難田、馬溝の名小字となりて残れり。其の後當社のみにて御供を奉り、古例を行ひ來り、御供田(一反六畝二十歩)ありしが、明治3年之を返還せり。 神社明細書 |
大處神社 天智9年の創祀で、式内社である。元国主大明神と称して大地主命即ち大国主命の荒魂を祀る。この地は往古の高島郡十郷の一で、大処郷と伝えられ、その総社である。明治9年村社に列せられ、同14年郷社に昇格する。また同45年神饌幣帛供進神社に指定される。社伝に大処神社社地及び其近傍で大地主大神営田の時、白猪白馬白鶏を以て御歳神を祀られたことの縁故で祈年祭には献猪の式があった。後猪のない時は調布八反を以て、これに代えてきたが遂に絶えている。正月元旦祭の御供調理は古代より宮中、伊勢神宮に因んだ特殊神饌を奉献している。摂社酒波神社は、貞和5年の勧請である。当時酒波より勧請の途中、新保村で村人等が笹粽、濁酒、鮒ずし、大豆、大根漬等を供えたことより、今も例祭のとき、還り馬場の神輿に進献の例が残っている。 滋賀県神社庁 |
大処神社 大処は於保止古呂と訓べし、和名抄、(郷名部)大処、○祭神在所等詳ならず、社家注進、森西村國主大明神 神社覈録 |
郷社 大処神社 祭神 大地主神 本社の創建は詳かならず、醍醐天皇延喜の制小社に列す(延喜式}、今社傍に猪田と云ふ処あり、伝へ云ふ、此は大地主神御田を営み給ひし時、牛肉をもて田人を饗し、大歳神の怒に触れ、白猪、白馬、白雉を奉りて其の怒を解き、其の御教に從へりとある故事に因みて起れる名なりと、明治9年10月村社に列し、次いで郷社に昇格あり、境内すべて616坪(官有地第一種)、本殿、拝殿、水屋などあり、一書に曰く「今按ずるに神社覈録に祭神在所等詳ならず、社家注進状森西村國主大明神とあるによらば、大処はオホトコにて大地主神に由あるを以て、國主大明神と伝へたるにはあらざるか、云々」と。 明治神社誌料 |