鞆結神社(若宮神社境内社)
ともゆいじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】鞆結神社 近江国 高島郡鎮座

   【現社名】鞆結神社(若宮神社境内社)
   【住所】滋賀県高島市武曽横山1043-1
       北緯35度19分30秒,東経135度59分2秒
   【祭神】応神天皇
   【例祭】
   【社格】若宮神社境内社
   【由緒】天正年中兵焚
       明和9年(1772)正月23日回禄
       大正4年11月3日神腰幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

この地は往古、応神天皇の行在所だったという。若宮神社は、鞆結神社(八幡神社)の末社として存在していたが、天正年中、兵火に罹り、鞆結神社の御神体は焼失。若宮神社の御神体は無事だったため、若宮神社を本社とし、鞆結神社を境内社にした。
現在は本殿右に祀られている。


若宮神社

本神社鎭座ノ地ハ往昔ノ磐衝別王(三尾君祖)ノ別業ノ跡ニシテ、応神天皇ノ行在所タリシコトアリ。又隼総別王亦コゝニ別業ヲ営マセラレシ所ト傳ヘラレ、モト現在境内神社タル靹結神社ノ末社トシテ奉齋シ、正一位若宮神社ト称セシガ、其後何時ノ頃ヨリカ八幡ノ二字ヲ脱シ若宮トノミ称ス。天正年中兵焚ニ罹り、明和9年正月23日再ビ回禄ス。コノ際靹結神社ノ神体倶ニ炎上シ、若宮ノ神体ハ其難ヲ免レタレバ、コレヲ本社トシテ奉齋スルコトゝナレリト云フ。大正4年11月3日神腰幣帛料供進神社ノ指定ヲ受ク。

神社明細書



若宮神社

明細書によれば創祀年代不詳であるが、社伝に鎮座地は、磐衝別王の別業跡、更に応神天皇の行在所と伝えられる。現境内社である鞆結神社の末社として、正一位若宮八幡神社と称したが、何時の頃よりか若宮神社と称している。天正年中兵火に会い、更に明和9年再び回禄したのである。この時、鞆結神社の御神体は社殿と共に焼失したが、若宮の御神体のみ難を免れたので、これを本社として奉斎し現在に至っている。明治9年村社に列格。大正4年神饌幣帛料供進社に指定。又昭和20年、護国神社を末社として創建した。

滋賀県神社庁



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