麻知神社は、もとは当地の西大町という地に鎮座していたが、明暦年間社殿その他の建物すべて火災に罹り烏有に帰した。仮に日枝神社に奉遷し祀ったが、終に社殿再建することができなかった。 本殿は二棟あり右:日枝社殿 左:八幡宮 |
日枝神社 創立の年代は不詳なりと錐も、往昔より武門武將の尊崇篤く、殊に源頼義より除地千九百坪を寄附せられ、社殿は治暦元乙巳年造営、正徳元辛卯年、弘化己酉年に再建せり。相殿の櫛眞知命は式内麻知神社の祭神にして、其社の草創も亦不詳なりと錐も、往古は日枝神社の西大町の地に鎭座せり。(延喜式神名御社書大日本史)明暦年間社殿その他の建物悉皆火災に罹り烏有になる。於是仮に日枝神社に奉遷し祀れるに、終に社殿造営に及ぼずして今日に至れり。旧社地は有租となり、日枝神社の名のみ存じて、麻知神社の世に知られで煙滅せる者の如く成れるは遺憾なりとす。按ずるに社號を麻知と云へるは、祭神櫛眞知命の御名を直ちに負せ、旧社地を大町と云へるは、大は美称、町は社號の麻知と祭神の眞知とを一字にせるものなり。明治9年10月村社に列せらる。明治43年神饌幣帛料供進に指定せらる。 明細書 |
日枝神社 創立の年代は詳ではない。社伝によると式内社麻知神社は当社の西字大町の地に鎮座したが、明暦年間火災に罹り当社に合祀。日枝神社は往古より武門の尊崇厚く源頼義は除地1900坪を寄進せりと云う。明治42年神饌幣帛料供進指定社に指定される。式内麻知神社については現在論社とされる。 滋賀県神社庁 |
麻知神社 麻知は仮字也○祭神在所等詳ならず 神社覈録 |