集落隅の小社。式社であるとの表示をしていない。 |
大表神社 文武天皇の景雲2年に伊香郡開発のとき、墾田養水分流の時に大和國葛木水分神八大龍王を合祀し、當祈雨神大水分神と称した。これが當社の創始となり、以後、貞観15年(873)には社殿を造営し、楊野郷の総社と崇祀された。文永2年(1265)8月佐々木氏信が八幡宮を合祀し、社務長泉庵を建て祭祀料をあてがわれ、大表八幡宮と称するようになった。國司の崇敬社であつたから大水分社も後世には大表神社というようになつてしまつた。その後明治4年4月、神抵官により大水分と認可されたが、明治9年神社制定の際村役人が大表八幡宮と届出たことにより、村社となったが、大表神社、祭神応神天皇となつてしまつた。 昭和27年神社明細書要旨 |
大表神社 社伝によれば、慶雲2年大和国葛樹木水分神八大龍王を奉祀し、祈雨太水分神と称した。貞観15年社殿を造営した文営した文永2年佐佐木近江守氏信当社に八幡宮を合祀して大表八幡宮と称することとなった。延喜式内社太水別神社の論社。 滋賀県神社庁 |