天水分神を片岡郷の用水水源の守護として、水源の杉の森の水分桝場に鎭座していた。しかし、天正13年賤ヶ岳合戦の時に兵乱により荒廃し、大日堂の境内に二社(大水別神社、大浴神社)を移し、その後現在のところへ社地を遷したものと伝える。 |
大水別神社 井の明神とも称し、灌漑の守護の神と崇敬された。行市山より地下水湧出し、夏期旱魃にも水量異状なく満ちあふれる池沼に賤岳の合戦で焼失の社殿を天正13年再興した。延喜式内論社。昭和2年村社に加列。 滋賀県神社庁 |
大水別神社 大水別は於保美豆知氣と訓べし○祭神在所等詳ならず 神社覈録 |