意太神社
おぶとじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】意太神社 近江国 伊香郡鎮座

   【現社名】意太神社
   【住所】滋賀県長浜市木之本町大音字大門山 1495
       北緯35度30分14秒,東経136度11分57秒
   【祭神】加具土神
   【例祭】
   【社格】伊香具神社末社
   【由緒】創立年代詳ならず
       天正年間賤ヶ岳の兵焚で焼失
       慶長年間小祠を再建
       明治28年3月造営

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

大日如来堂の横の道をあがる。山中に鎮座する。伊香具神社境外摂社。
継体天皇四世の孫の意富々杼王の裔孫此の地に住居繁榮し祖廟を創立した。


意太神社(祭神・火の迦具土神)

今から1300年前に伊香津臣命が古事記に出てくる(火の神・迦具土)の徳を受けられ崇拝されていた神様です。(火の迦具土神)とは、火の神であると同時に火がなくては成り立たない金属精錬や陶器の製造に最も重要な神様です。
この後方の山は香具山と言い鉄岩石を産し、また木之本町土倉村には銅鉱もあり古橋村や西浅井町の日計山麓の大川に沿って多くの製鉄遺跡群も発掘されています。また、余呉町丹生村では良質の粘土も産出し現在でも茶碗祭りが無形文化財として残つています。古代豪族伊香氏は姉川以北を支配しており製鉄に力を入れ、鏡・武具・農具の生産にはげみ伊香の小江を開拓し湖北の神聖なる香具山の麓に小京都として大音の村を築きました。その村名も意太からやがて大音になつたと思います。
大音区
賎ヶ岳観光協会

社頭掲示板



意太神社

香具土神相殿二意富々杼尊、当地二鎭座ス、其創立年代詳ナラスト雖モ往古継体天皇四世ノ孫二當ラセラル意富々杼王ノ裔孫此ノ地二住居繁榮シ設祖廟ヲ創立セシモノニシテ今尚ホ鎭座ス地ノ字ヲ香具山接続地ヲ上ノ山ト称ス、此ノ地往古ハ総称シテ伊香ノ縣ト云ヒシカ後チ大音村ト改村セシモ全ク當神社ノ社名二起因ス、抑モ当社ハ往古伊香具神社ト並ビ隆盛ナリシモ彼ノ天正年間賎嶽ノ役二兵焚二罹り社殿記録宝物等鳥有二帰ス後チ慶長年間一小祠を再建セリ、後チ明治二十七年再建ノ議起り同二十八年三月竣功ス、現今ノ社殿、梁行四尺五'桁行四尺五 )是ナリ、當社鎭座ス山ノ総名ハ伊香胡山ト称へ和名抄二伊香胡山近江國伊香二在リト見ユルハ此ノ山ナリ

意太神社御由緒調査書



意太神社

意太は仮字也〇祭神在所等詳ならず

神社覈録



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