天平年間(729年 - 749年)に当地にあった槻の巨木に天児屋根命が降臨されたとの伝承がある。 平安時代、歌人大江匡房が訪れ、月の名所として歌をよんだことから、槻の字を月と改め、村名にしたという。 「近江なる 高月川の 底清し のどけき御代の 影ぞ映れり」「秋といえば 光をそえし 高月の 川瀬の浪も 清く澄むなり」『夫木和歌集』所収。 |
神高槻神社 御祭神 天児屋根命 高額比売命 御社はその昔当村の南西の方「畔のが原の久里原」の地におわしまし生い茂る槻の大樹ありて御神霊の宿る所とされ産土神として永く崇拝され天平年間に祠を立て氏神様として祀りしかその後村の発展に伴い此の地に遷宮される。 明治9年村社に列格 明治25年本殿新築落成 大祭日 4月8日 社頭石碑 |
神高槻神社 社記に聖武天皇天平己巳歳平群廣技臣神夢感応之余造立社殿奉神座於是草創也、此荘則宇根阿閉高月森本落川馬上渡岸寺以上七箇村之惣社土産鎭神也以大図寺爲別當神主一人神人一人供僧一人延喜式神名帳所録伊香郡四十六座之一神高槻神社是也とあり。又當社は元宇根野ケ原の内小字栗原にあり往古槻の巨木ありて鎭座の地と云えり、天平年間一宇を建設し村民崇敬せり、旧村名を高槻と称したり神高槻の社號も亦この謂いならんか、天正年間兵火に罹り社殿荒廃し後、天保十年社殿を改造せりという。 近江伊香郡志 |
神高槻神社 当社は往古宇根野ヶ原字栗原辺りに、上代より槻の巨木あり。此槻に春日神降臨ありて、氏神と崇敬し、天平年間一祠を建立して、天児屋根命を奉斎したと「高月沿革誌」にあり。社名は九条家本に「神高槻」とあるが、神社要録は「加牟多加都伎」としている。天正年間再度の兵火に罹り、往昔の文書喪失し詳細を知る事を得ない州が、当社に遺る「神高槻神社社紀」に依れば、人皇45代聖務天皇の御守近津阿波海州伊香郡高槻里、神座神高槻神社の本源は、神霊の斎く所高額比売命則神系は、息長宿禰王葛城之高額比売命を娶りて息長帯比売命を生ませる。柳勧請本起は、平群広技臣神夢感応の余り社殿を造立し神座を奉ずる。此荘則宇根、阿閑、高月、森本、落川、馬上、渡岸寺以上7箇所の惣社産土の鎮神也。延喜式神名帳に録す伊香郡46座の一神高槻神社是也とある。高額比売命は天日槍命の末裔で、安産の神としてその名も高く、祈願者も多かりしという。寛治年間朝廷の高官大江匡房都を定めんと栗原に来り、美しき月の名所を賞で、「近江なる高月川の底清しのどけき御代のかげぞ転れり」と詠まれ、後に高槻を高月に改め高月郷と称される様になったと伝えられている。延喜式内社。明治9年村社に列せられ、明治25年本殿新築落成、明治41年神饌幣帛料供進神社に指定、式内社。 滋賀県神社庁 |
神高槻神社 神高槻は加牟多加都伎と訓べし○祭神在所等詳ならず 神社覈録 |