伊波太岐神社
いわたきじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】伊波太岐神社 近江国 伊香郡鎮座

   【現社名】伊波太岐神社
   【住所】滋賀県長浜市木之本町古橋2
       北緯35度30分40秒,東経136度15分29秒
   【祭神】保食神 伊弉諾尊
   【例祭】10月15日 例祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳
       天平2年行基菩薩法華寺を開基
       慶応4年神仏分離で法華寺廃寺

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の由無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「七所神社」と称していた
   【社殿】本殿流造
       

   【境内社】秋葉神社・高寵神社

与志漏神社の東の道を山へはいる(800m)、二股を右へ山道暫くして右手。山中の神社。集落より離れている。法華寺跡の地。本殿のみ鎮座している
神使熊山法華寺の鎮守社であったと思われる。


伊波太岐神社

社伝として、この地の住民に神の告げがあつた。「『汝等カノ地ヲ拓カント望ミ久シケレドモ悪獣毒蛇ノ危害ヲ懼レテ未ダ之ヲ果サズ、吾ハ保食ノ神ナリ、汝等宜シク吾ヲ彼ノ地ニ奉齋スべシ、然ラバ吾レ白熊ヲ以テ使トシ彼ノ悪獣ヲ追ヒテソノ祀憂ヲ除キ以テ彼ノ地ヲ拓クノ業ヲ扶ケム』との神示あると共に夜々又彼地に霊光を拝する者少ならず、於茲住民等この神示を疑はず相議りて禮を尽して神霊を勧請し祭祀の誠を尽くしてその守護を祈請せり、奇しき哉、その神告に違はず白熊の顯現ありて悪獣悉く他に逃れ去り、住民等よくこの沃野山林を拓くを得たり、この神の使たる白熊顯現の神秘事によりて此の渓谷一帯の地を『神使熊の郷』と称するに至り、爾來傳承し今日に至りその字名をなす」

式内社調査報告



法華寺跡

神亀元年(724)行基が薬師如来を本尊として創建し、その後伝教大師(最澄)が寺坊を修復して日光、月光菩薩をはじめ十二神将を刻して祀ったと伝えられています。
興福寺文書によると、僧房百二宇衆徒五十口とあり、当時は己高山惣山の院主を務めるなど己高山七ケ寺の最有力寺院として小谷城主三代の帰依深く、また豊臣秀吉や徳川家の庇護を受け格式を誇っていたと伝えられています。
木之本町教育委員会

社頭掲示板



伊波太岐神社

神告が、我は保食神で白熊を以って悪獣を追い払い開拓を扶けんと云う事で、その神霊を観請守護を祈請した処、奇しくも白熊の顕現があり悪獣退散し沃野山林を開拓出来たと伝える。この地を神使熊の郷と称している。延喜式内社、明治9年村社に列せられた。

滋賀県神社庁



伊波太岐神社

祭神
伊弉諾尊・大己貴命
草創年月日は不詳であるが延喜式神名帳(922)にある古社である。当地は古くは上使熊と称されていたが、7世紀末頃、当社へ参詣した行者役小角が霊感して神使熊と改めたと伝えられている。8世紀には、境内に行基草創の法華寺が建立され、以来永年己高山鶏足寺の筆頭別院として隆盛していたが、江戸末期には寺院が衰退し、往古の神社が甦ったのである。なお境内社として昭和初期まで、戸羅ケ池(夜叉が池の前身)の龍神を祀る高おかみ神社があり、旱魃時には小谷城主の命により、雨請い祈願のため宝器を打ち鳴らし、ウソ越え峠から濃越国境の彼池に向かったという記録がある。

社頭掲示板



法華寺と石田三成

法華寺は726年に行基が薬師如来を本尊として創建した己高山鶏足寺の別院であり興福寺文書によれば僧坊百二宇の大寺院であつた。
 石田三成は石田村(現長浜市石田町)の土豪石田正継の二男として生を受け「佐吉」と呼んだ。佐吉9オ(1569年)の時、古橋出身の母の縁で勉学のため法華寺に入り塔中三珠院に起居した。当時は織田信長、浅井長政の争い(1570年姉川の合戦)から世情不安定な時代であり、1573年小谷城落城により信長から浅井の遺領をもらった秀古は領内視察のため法華寺を訪れ三珠院において茶を所望した。応侍に出た佐吉は秀古が喉を乾かしているのであろうと察して大きめの茶碗にやゝぬるめのお茶をなみなみと差し出した。秀吉はこれをー気に飲み干し自分の望むとおりの量と湯加減であったことを喜ぶと共に小姓ながらの機転に感心し、次々と湯茶を求めたところ、その都度秀吉の朔待する湯加減と量であったので秀吉を大いに喜ぱせたという。これが有名な秀吉と三成出会いの「三献の茶」である。これが縁で秀古の家来になった三成は次々才能を発揮し、1595年35才の時に彦根佐和山城主となり、法華寺は祝儀として出丸(法華丸)一棟を寄進した。1600年主君秀吉の遺命のを守り豊臣家再興のため徳川家康と関ケ原で戦った三成は敗れて法華寺へ逃れてきたが寺の計らいで幼馴染み与次郎に匿われているところを(9月21日)捕らえられたのである。
法華寺には、母の墓(現在己高閣に安置)を始め過去帳には一日の項に三成、佐和山城落城の18日には父正継、兄正澄、その子右近等の戒名が生々しく書連ねられている、
その他古橋には、三成が一時匿われたと言われるオトチの岩窟、与次郎屋敷跡など三成にまつわる史跡や伝説は少なくない。

社頭掲示板



伊波太岐神社

伊波太岐は假字也〇祭神在所等詳ならず

神社覈録



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