集落内山裾に鎮座する。裏に高速道路が通っている。小学校のとなりで寺と隣接する。 |
佐味神社 今市の区内を歩いていると あちこちで古墳を見かけますが 、中でも 塚谷にある古墳と 区内の小古墳は 氏神佐味神社と関係があり 、村人から崇敬されています。字塚谷にある古墳は 径15m 、高さ5mにも及び 下部は巻石で固められた円墳です。 区内の小古墳は 面積20坪ほどの中央に石を置いた ささやかな古墳で市姫塚と呼ばれています。 佐味神社の祭神は 第10代 崇神天皇の皇子 豊城入彦命 ( とよきいるひこのみこと ) ですが 、この方は 父天皇の命で東国に下り 開拓鎮撫 ( ちんぶ ) に功をたてた人で 、子孫も東国に残り開拓に尽くしました。子孫の上毛野 ( かみつけの ) 君 ( 上野 ) 下毛野 ( しもつけの ) 君 ( 下野 ) が 先祖豊城入彦命を祭った神社が 宇都宮の二荒神社 ( ふたらじんじゃ ) です。 今市では 壬申の乱 ( じんしんのらん ) の時 、子孫の一族佐味の朝臣少麿 ( あそみすくなまろ ) が 大海皇子方につき この地に来て今市に住みつき 、先祖 豊城入彦命を祭神として佐味神社を建立したと伝えられています。そして 佐味朝臣の墳墓が塚谷の古墳で 、朝臣の乳母市比売 ( いちひめ ) の墳墓が市姫塚であると伝えられているのです。 壬申の乱の時 、大海皇子の配下に佐味朝臣の名はありますが 、この人が今市に来住したかはあきらかではありません。 しかし 、新堂の大浴 ( おおあみ ) 神社 、池原の樹本 ( このもと ) 神社の祭神も豊城入彦命であり 、更に 高月町柏原の佐味神社も 今市と同じような説をたてているところを見ると 、佐味朝臣の今市来住を無下に否定することはできません。 佐味朝臣少麿と同じ一族に 羽田 ( はたの ) 八国 ( やくに ) があります。 この人は 壬申の乱では大友皇子の配下にありましたが 、一族を引き連れ大海皇子に降服し 、北越警備を命ぜられ近江に入っています。 今市付近は 北国街道や若狭街道の要所で 、この付近に留まり 、北陸方面の警備についたのではないかと考えられます。 現在も 今市には羽田八国に通じる 畑野姓の多いのも気にかかります。 広報よご Vol.184掲載 |
佐味神社 創祀不詳なれど豊城入彦命の裔族佐味之朝臣等を、この地に守護とならしめ更に、大きく湖国の防衛の砦ではなかったかと思われる。天武天皇の御代、佐味之朝臣少磨の名も見え、この地に、移住されし事を伝える。延喜式内論社。明治9年村社に加列。 滋賀県神社庁 |
佐味神社 佐味は假字也○祭神佐味朝臣祖歟〇在所詳ならず 姓氏六、(右京皇別上)佐味朝臣、上毛野朝臣同祖、豊城入彦命之後也 神社覈録 |