佐味神社
さみじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】佐味神社 近江国 伊香郡鎮座

   【現社名】佐味神社
   【住所】滋賀県長浜市余呉町今市339
       北緯35度33分31秒,東経136度11分51秒
   【祭神】豊城入彦命
   【例祭】4月3日 春季例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       明治9年村社

   【関係氏族】佐味朝臣
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造銅板葺
       拝殿・手水舎

   【境内社】

集落内山裾に鎮座する。裏に高速道路が通っている。小学校のとなりで寺と隣接する。


佐味神社

今市の区内を歩いていると あちこちで古墳を見かけますが 、中でも 塚谷にある古墳と 区内の小古墳は 氏神佐味神社と関係があり 、村人から崇敬されています。字塚谷にある古墳は 径15m 、高さ5mにも及び 下部は巻石で固められた円墳です。 区内の小古墳は 面積20坪ほどの中央に石を置いた ささやかな古墳で市姫塚と呼ばれています。
 佐味神社の祭神は 第10代 崇神天皇の皇子 豊城入彦命 ( とよきいるひこのみこと ) ですが 、この方は 父天皇の命で東国に下り 開拓鎮撫 ( ちんぶ ) に功をたてた人で 、子孫も東国に残り開拓に尽くしました。子孫の上毛野 ( かみつけの ) 君 ( 上野 ) 下毛野 ( しもつけの ) 君 ( 下野 ) が 先祖豊城入彦命を祭った神社が 宇都宮の二荒神社 ( ふたらじんじゃ ) です。 今市では 壬申の乱 ( じんしんのらん ) の時 、子孫の一族佐味の朝臣少麿 ( あそみすくなまろ ) が 大海皇子方につき この地に来て今市に住みつき 、先祖 豊城入彦命を祭神として佐味神社を建立したと伝えられています。そして 佐味朝臣の墳墓が塚谷の古墳で 、朝臣の乳母市比売 ( いちひめ ) の墳墓が市姫塚であると伝えられているのです。 壬申の乱の時 、大海皇子の配下に佐味朝臣の名はありますが 、この人が今市に来住したかはあきらかではありません。 しかし 、新堂の大浴 ( おおあみ ) 神社 、池原の樹本 ( このもと ) 神社の祭神も豊城入彦命であり 、更に 高月町柏原の佐味神社も 今市と同じような説をたてているところを見ると 、佐味朝臣の今市来住を無下に否定することはできません。
 佐味朝臣少麿と同じ一族に 羽田 ( はたの ) 八国 ( やくに ) があります。 この人は 壬申の乱では大友皇子の配下にありましたが 、一族を引き連れ大海皇子に降服し 、北越警備を命ぜられ近江に入っています。 今市付近は 北国街道や若狭街道の要所で 、この付近に留まり 、北陸方面の警備についたのではないかと考えられます。 現在も 今市には羽田八国に通じる 畑野姓の多いのも気にかかります。

広報よご Vol.184掲載



佐味神社

創祀不詳なれど豊城入彦命の裔族佐味之朝臣等を、この地に守護とならしめ更に、大きく湖国の防衛の砦ではなかったかと思われる。天武天皇の御代、佐味之朝臣少磨の名も見え、この地に、移住されし事を伝える。延喜式内論社。明治9年村社に加列。

滋賀県神社庁



佐味神社

佐味は假字也○祭神佐味朝臣祖歟〇在所詳ならず
姓氏六、(右京皇別上)佐味朝臣、上毛野朝臣同祖、豊城入彦命之後也

神社覈録



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