意波閇神社
おはへじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】意波閇神社 近江国 伊香郡鎮座

   【現社名】意波閇神社
   【住所】滋賀県長浜市余呉町坂口290
       北緯35度31分19秒,東経136度12分57秒
   【祭神】大鷦鷯命
   【例祭】4月8日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創立年代不群
       天正年間賎ケ岳合戦の折兵火で焼失
       慶長7年(1602)境内地の除税
       慶長7年とも寛永3年(1626)とも今の社地に移
       文政11年(1828)再建
       明治9年村社

   【関係氏族】大鷦鷯尊の後裔
   【鎮座地】もと大杉の元にあつた
        慶長7年とも寛永3年(1626)とも今の社地に移

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「平野大明神」と称していた
   【社殿】本殿流造檜皮葺
       拝殿・中門・社務所・手水舎

   【境内社】坂口神社

大鷦鷯尊の後裔が祖神として奉齋した。
社地は広大な面積であり、後ろが山であり、「オバセの森」又は「平野の森」と称されている。
社殿はもと大杉の元にあつたが、慶長7年とも寛永3年(1626)ともいうが、今の社地に移し、社殿を造営。
境内入り口の右手に意波閇神社のスギ (おはえじんじゃのすぎ)と称する大杉がある。


意波閇神社

明細書によれば不詳であるが、近江輿地志略によると、意波閇神社は、祭神大鷦鷯命、十禅師宮といった式内社である。この森の地帯神域は平野の森、おはへの森、又古書によるとオバセの森とも言っている。本社は天正年中賤ヶ岳の兵火に罹り一切を焼失した為に、由緒は詳やかではない。古老の口碑のよると、境内東西十町余、南北一丁余の山林で、世にオバセの森といい、その中に小坂路があって、伊香具坂と称した。慶長7年大検地の際、北国街道を境内の西に通し、方一丁に、収縮された。元の社殿は腐朽甚だしく、寛永3年小字森の上に位置を変更して造営し、文政10年再び新築現在に至っている。明治元年彦根藩より神社取調べの際、社号を記した標柱が下附せられ、同9年村社に列せられた。延喜式神明帳に意波閉神社と在るは、当社のことである。又オバセの森については徃古は大森林であって、常に盗賊が潜伏し旅人を待伏して悩ませた。境内にあった伊香具坂は、少人数の旅人の場合は、待ち合せ、多人数で難を免れようとした日が7日に及ぶ事もあり、7日坂と称されるようになった。

社頭掲示板



意波閇神社

明細書のよれば不詳であるが、近江輿地志略によると、意波閇神社は、祭神大鷦鷯命、十禅師宮といった式内社である。この森の地帯神域は平野の森、おはへの森、又古書によるとオバセの森とも言っている。本社は天正年中賤ヶ岳の兵火に罹り一切を焼失した為に、由緒は詳やかではない。古老の口碑のよると、境内東西十町余、南北一丁余の山林で、世にオバセの森といい、その中に小坂路があって、伊香具坂と称した。慶長7年大検地の際、北国街道を境内の西に通し、方一丁に、収縮された。元の社殿は腐朽甚だしく、寛永3年小字森の上に位置を変更して造営し、文政10年再び新築現在に至っている。明治元年彦根藩より神社取調べの際、社号を記した標柱が下附せられ、同9年村社に列せられた。延喜式神明帳に意波閉神社と在るは、当社のことである。又オバセの森については徃古は大森林であって、常に盗賊が潜伏し旅人を待伏して悩ませた。境内にあった伊香具坂は、少人数の旅人の場合は、待ち合せ、多人数で難を免れようとした日が7日に及ぶ事もあり、7日坂と称されるようになった。

滋賀県神社庁



近江国INDEXへ        TOPページへ


学校情報