日吉神社
ひよしじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】久留弥多神社 近江国 伊香郡鎮座

   【現社名】日吉神社
   【住所】滋賀県長浜市高月町唐川1055
       北緯35度29分30秒,東経136度13分09秒
   【祭神】大山咋命
   【例祭】4月11日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】貞観15年(873)の創祀と伝
       明治9年村社
       明治41年4月29日幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「日吉山王」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿

   【境内社】倉稲神社

元は久留弥多神社延喜式内社と称し、闇御津羽神を奉斎したものという。
日吉神社境内には観音堂があり、平安初期彫刻の重要文化財千手観音像は日吉神社に隣接する観音堂の本尊である。この堂はかつては寺勢をもった寺院で赤後寺と称したが、天正(1573〜92)の兵火にかかって烏有に帰し、今の本堂は1696年(元禄9)に再建したという。千手観音立像は像高173cm、一木造の漆箔像で、頭は後頭部から内刳(うちぐ)りを行い、躰部は背面から長方形に内を刳ってそれぞれ蓋板をあてている。


日吉神社

元は久留弥多神社延喜式内社と称し、闇御津羽神を奉斎したものという。当社鎮座の湧出山々麓には、数基の古墳が存在し、租神闇御津羽神との関連を偲ばしめる。当地は延暦寺の寺領となり、又天台宗の流風に属した関連上、坂本の日吉神社の分霊をも当社に斎き祀り、いつしか主客転倒し、ついに本来式内久留弥多神社なることを忘却するに至ったものと考えられる。かくして中世以降、日吉山王とも称え、社頭毀賑を呈したが、賤ヶ岳戦争に際し、兵火に罹り一時衰徴したが、境内に隣して官寺観音寺を設け、諸頭組によってその祭祀が営まれ、社殿の築造も行なわれたが、明治以降正規の神職が祭祀に当たるに至った。明治44年東久邇宮邦彦王殿下当地方に於ける大演習に際し、当社にご参拝になり、松樹を御手植になった。これより先、明治9年村社に列し、同41年4月29日幣帛料供進神社に指定せられた。

社頭掲示板



木造千手観音立像

日吉神社は長浜市高月町唐川にあります。『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「千手観音像は日吉神社に隣接する観音堂の本尊である。この堂はかつては寺勢をもった寺院で赤後寺と称したが、天正(1573〜92)の兵火にかかって烏有に帰し、今の本堂は1696年(元禄9)に再建したという。千手観音立像は像高173cm、一木造の漆箔像で、頭は後頭部から内刳(うちぐ)りを行い、躰部は背面から長方形に内を刳ってそれぞれ蓋板をあてている。(中略)この像はこのほかに正面腹部からも穴をあけて内刳りをほどこし、いずれの蓋板もすべてふとい鉄釘でとめている。また根幹部からつくりだした両手の上?中ほどと、手の先を矧(は)ぐのに相欠き式に矧付け鉄釘でうちつけている。このような他にはみられない特色のある技法は、木心乾漆像にしばしばみられる技法で、平安初期彫刻の貴重な資料を提起する仏像である。重要文化財。(宇野茂樹)」とあります。

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