天八百列神社
あめやおつらじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】天八百列神社 近江国 伊香郡鎮座

   【現社名】天八百列神社
   【住所】滋賀県長浜市高月町熊野822
       北緯35度27分35秒,東経136度12分30秒
   【祭神】八瓜入日子王命
   【例祭】4月2日 例祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八目大明神」と称していた
   【社殿】本殿一間社流造瓦棒銅板葺
       拝殿

   【境内社】熊野神社

余呉川岸の社。集落からは離れている。田中にこんもりとしていて良くめだつ。
神社の西にある西野山頂には古保利古墳群とも西野山古墳群ともいう大古墳群があり、それと関係のある神社ではないかと推測される。


天八百列神社

古記によれば、弘仁元年僧最澄此の郷内堂谷という地に伽藍を建立するに際し、当社を以って鎮守の神として崇敬したと伝えている。延喜式内社。

滋賀県神社庁



指定史跡 古保利古墳群

平成15年8月27日指定
古保利古墳群は琵琶湖の北端、塩津湾に面する細長い丘陵上に分布する一大古墳群です。
時期は古墳時代初頭(3世紀代)から終末期(7世紀代・飛鳥時代)であり、現在判明している古墳の数は132基です。各古噴は分布図のように→部を除いて丘陵最線上に約3kmにわたって築造されています。琵琶湖北端に直面する、丘陵上に形成されていること、長期にわたって築造され続けていること、群集墳や後・終末期古墳を除き主な古墳が自然地形にしたがって列伏に並ぶことに持色があります、
それに前方後円墳・前方後方墳・円墳・方噴といったf汁墳時代に造られた基木的な形の、古墳がすべてそろっています、首長墓と考えられる前方後円墳・前方後方墳が現状で各8基、計16基も含まれています。持に前方後方墳が多い点が特記されます、円墳と方墳はそれぞれ79基・37基あります、また。この古墳群周辺には大森古墳(前方後方墳ないし双方中方墳)、姫塚古墳(前方後方墳)若宮山古墳(前方後円墳)、松尾宮山ー号墳(方墳)など首長墓が分布しています、つまり、古墳時代の各時期の様々な形をした有力な古墳が集中、築造されています、これは高月地域とその周辺を中心に安定した政治的な地域体制が成立、存在したことの証しです、
以Lのような分布状況に加えて、前方後円墳と前方後方墳が隣り合って築造された地点があること、前方後円墳は北・西方向を意識して構築されているなどの興味深い特徴があります。
古保利古墳群が形成された丘陵上から琵琶湖と平野部が一望でき、湖北一帯はもちろんのこと湖東・湖西方面も遠望できます。深谷古墳のように湖からしか見えない古墳もあります、このように琵琶湖を意識した立地は、当時の重要な交流・交易の手段であった水運を意識しており、まさに湖の古墳群です。この古墳群の被葬者たちはそれを掌握していた首長層とその所属集団であったと推定されます。古来より湖北地城は畿内と東海・北陸をつなぐ交通の要衝であり、古保利古墳群の形成は当然とも言えるでしょう。
なお、一部の古墳の確認調査が実施されており、山陰・北陸・東海地方や湖南地城などほかの地域の特徴を時つ土器が少量出土しています。土器以外にも、持に小松古墳(3世紀代・全長約60m・前方後方墳)では当時の権力の象徴である中国製の銅鏡や銅鏃・鉄鏃・水銀朱などが発見されています。また、古墳群中最大規模の西野山古墳は全長90m前後の前方後円墳です。築造時期は明らかではありませんが、立地(選地)や墳形などから古墳前期末葉頃の古墳と考えられています、湖北地域では長浜茶臼山占墳とともに滋賀県内有数の規模を跨っており、大きな権力を持った豪族とそれをささえた強力な集団が蟠踞していたことを物語っています、
長浜市教育委員会

社頭掲示板



天八百列神社

天八百列は安米乃夜保都良と訓べし○祭神在所等詳ならず

神社覈録



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