古くは大羽神社と号したが、その後、江北一宮建部大明神と称するようになつたという。 皇孫尊が天降の時に衣を織るために随従した神を天羽槌雄命といい、その後裔が崇神天皇の世に祖神を勧請したのがその始めという。 |
大羽神社 延喜式神名帳近江国浅井郡14座の一の論社である。崇神天皇の御世天羽槌雄神を勧請し、里人織布を天皇に奉る。天皇嘉し給うて錦織の里の称を下し給い、京極氏が社殿を造営したと伝えている。建部明神という。文化4年に大洪水に遭い多くの社宝、社記が流失した。明治2年大羽神社と改め別社であった建部、八幡の両社を合祀した。本殿は塚状の真上に建られていて古くから大塚さん或は大塚の森と呼んでいる。古くは錦織荘内の七ヶ村が氏子であったが逐次分離し現在は酢のみの氏神となるに至った。明治9年村社に列し同42年神饌幣帛料供進社となる。おこないの奉餅の時唱える「とーよ、とーよ、さらいねんもとーよ」の囃は珍しい。 滋賀県神社庁 |