大羽神社
おおはじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大羽神社 近江国 浅井郡鎮座

   【現社名】大羽神社
   【住所】滋賀県長浜市酢110
       北緯35度25分13秒,東経136度15分25秒
   【祭神】天羽槌雄神 (配祀)瓊瓊杵尊 誉田別尊
   【例祭】4月13日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】崇神天皇の世に勧請
       明応年間(1492〜1500)京極氏本殿造営
       元亀・天正の兵乱で荒廃
       文化4年(1807)6月洪水で社記・社宝流出
       明治以後正式に大羽神社と称する
       明治9年10月村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「建部大明神」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿・社務所・神門

   【境内社】
   【別当】舎那院神宮寺を別当としていたという。今の境内接続地にあり。

古くは大羽神社と号したが、その後、江北一宮建部大明神と称するようになつたという。
皇孫尊が天降の時に衣を織るために随従した神を天羽槌雄命といい、その後裔が崇神天皇の世に祖神を勧請したのがその始めという。


大羽神社

延喜式神名帳近江国浅井郡14座の一の論社である。崇神天皇の御世天羽槌雄神を勧請し、里人織布を天皇に奉る。天皇嘉し給うて錦織の里の称を下し給い、京極氏が社殿を造営したと伝えている。建部明神という。文化4年に大洪水に遭い多くの社宝、社記が流失した。明治2年大羽神社と改め別社であった建部、八幡の両社を合祀した。本殿は塚状の真上に建られていて古くから大塚さん或は大塚の森と呼んでいる。古くは錦織荘内の七ヶ村が氏子であったが逐次分離し現在は酢のみの氏神となるに至った。明治9年村社に列し同42年神饌幣帛料供進社となる。おこないの奉餅の時唱える「とーよ、とーよ、さらいねんもとーよ」の囃は珍しい。

滋賀県神社庁



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