和銅年間(708〜14)に神社(かみこそ)忌寸河内が近江国の守となり、川道あたりに住んでいた。その祖神をこの地にまつり、姓の名称をとつて神社(かみこそ)神社と称した。 明治までは神明社と泰平寺鎭守八王子社の二社からなつていた。1870年(明治3)の宮改めにさいし、朝日山藩より川道神社と改称を命ぜられたという。 祭神大物主は式内上許曽神社の祭神で古来八王子社に祀っていた。 3月 1日 神事(おこない) が行われる。湖北最大のおこないで圧巻を誇る。各地の行いの中でも、最も厳格に行われているので有名。五穀豊穣・国家安泰を祈る神事米4斗(1俵)の大鏡餅を作ることで知られる。地元では、この行事が終わると春が来るとされている。 |
川道神社御由緒 御祭神 天照太神 豊受大神 大物主命 大山咋命 古老の言い伝えによると、和銅年間に河内の忌寸という人が近江守となって当所にお祭りしたのにはじまると言われている。 本社はもともと新明社・八王子社二つの社殿にお祭りしてきたが、明治3年8月朝日山藩より「川道神社」と改称を命ぜられる。 大物主命は、式内上許曽神社の祭神で古来八王子社に合わせてお祭りして来たと伝えられる。 神明社は伊勢の大神で、文治年中に当地が御厨舎にあった際に上内森下周辺にお祭りしたが、たびたびの水害のために八王子社の境内にお移ししたと言われている。 八王子社は、山王七社の一つで、現在坂本の日吉神社では、牛尾神社と申し上げている社の御分霊を大山咋命の荒魂をおまつりしている。 社頭石碑 |
川道神社 創立の年代は明らかでないが、社伝では和銅年間に河内忌寸が近江守となって当地に住し、社殿を造営したのが創祀としている。文治年中当地は御厨舎に当ったため、天照大神、豊受大神を祀る神明社と上許曽の祭神大物主命と大山咋命とを合せ祀る八王子社の2社があった。古来武門武将の崇高が厚かったと伝えられている。明治3年2社を合祀して川道神社と改称した。同9年村社に列し同41年に神饌幣帛料供進社に指定され本殿を改築し以下の社殿を修築した。昭和2年郷社に昇格する。当社のおこないは古習を重んじ当地方の圧巻といわれている。 滋賀県神社庁 |